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社会人になって頑張ってた頃の話③_川越教室

川越教室に転勤した私。
小さい教室でした。

そこで出会った人の事を思い出してみます。

派遣の事務員さん


川越教室の室長として、着任した。

事務員さんは、女性の派遣スタッフだった。

多分私と同じくらいの年齢だったような記憶。

夜はレストランなどでピアノの演奏をしている
が、それだけでは食べていけないという事で、
昼間できる仕事をしたかったらしい。

ピアノか〜。素敵だけど、
事務系の仕事はあまり経験なさそうだったので、
少し心配だった。

派遣スタッフは即戦力、というのが当時は当たり
前だったので、
当日から、指示を出せば、
基本的な処理対応はできるという前提があった。


数日間、様子を見ていたが、心配することは
なかった。
テキパキと仕事をこなしてくれた。

少しづつ信頼関係もできてきた、と思っていた。

ある日、お昼休みに食事に行く彼女が
「何か買ってくるものがあれば、言って下さい。」

というので、お金を渡して、
コンビニでおにぎりとお味噌汁か何かを買って
きてもらうように頼んだ

彼女は私の頼んだものを買ってきてくれた。

私にその買ってきたものを手渡しながら、
彼女が言い放った言葉が忘れられない。

「室長のお昼ごはんを買ってくることは、
私の派遣としての仕事ではありません💢」

私はあっけにとられながら

「何か買ってくるものがあれば、と言ってくれた
ので、頼んだ。仕事としてではないので、もしそ
ういう風に聞こえたなら申し訳なかった」

というような事を言ったと思う。

何で私が謝るねん、ちょっとよく分からない。

でもそれほど彼女の顔は💢に満ち溢れていたん
でしょうか。
よく覚えてない笑)

そんなどうでもいいような事で怒らんでも。

嫌なら「買ってきましょか」と言わなきゃいいの
に、言っちゃったんだね(笑)

次の日に彼女が

「昨日はすみませんでした」とだけあやまってき
たが、
私は何を謝られれているのか分からなかった。

言い方?言った内容?

まあ今更ねぇ。
それ以来私は彼女に事務所内の仕事以外は
一切お願いすることはなかった。

私も若かったから、意固地(笑)

そして彼女は、しばらくして派遣期間満了を
待ってやめた。

言っとくけど、私が辞めさせたわけではない。

難聴の生徒


川越教室に難聴の生徒とそのお母さんが訪ねて
きた。

普通は営業担当を介して入塾するので、ちょっと
珍しいケース。

優しそうなお母さん。
笑顔が素敵な、女生徒さん。

話を伺うことにした。

難聴で、ほとんど耳が聞こえない。
集合講座しかない塾では、何を言っているのか
分からないとのこと。

ゆっくりしゃべれば、口の動きで話は理解でき
る。

だから、
1対1で教えて欲しい、というのが入塾希望の
理由だった。

今はそういう塾も多いが、
当時は塾で1対1はあまりなかったように思う。

私がいた会社、予備校は

1:多数の講座形式
1:5~6人の少人数形式
  先生がグルグル回って一人一人に教える個別
  授業
1:1の家庭教師的な指導

と指導形態が3種類あった。

う~ん。難聴か‥‥‥
出来る先生いてるんやろか‥‥‥

でもその難聴の子が、
一生懸命勉強して大学行きたいと熱心に言う
のを聞いたら、

しゃあない、あかん。

英語は私がみりゃいいか。
国語は?いてるやん!
あの先生ならきっとやってくれるわ。

お母さん、OKです❗️

引き受けました。

耳が聞こえずらい人はしゃべる時、発声が難しい。

何を言っているのか分からない時は筆談をした。

幸い順調に学習は進み、その子も楽しそうに通っ
てきた。

障がいのある人と身近に接した初めての経験だっ
た。

学校では先生が配慮してくれて、困ることはない
と言っていたが

苦労もあるだろうに、明るい楽しい子だったな。

私は、障害がある=かわいそう、みたいに思って
いたけど、すごく見方が変わった。

全盲の義父の事を少し


そのずっと後に夫と出会って、
義父が全盲の人だったのが何か繋がりを感じる。

義父は働き盛りの40代で全盲になったそうだ。

夫は、お義父さんが1人夜泣いていたのを見た
ことがあると
時々その時の情景を、ふっと話す。

義父の気持ち、夫の気持ちを思うと切ない。

でもそれから何十年も経って、私が義父に会った
時には

よく来た、よく来たと言って誰よりも私を歓迎し
てくれた。

障害ってない方がいいと思うけど、
かわいそうばかりではないなと
その時改めて思った。

そういえば、義母は義父に方向を教える時、
あっちとかこっちとか言っていた。

見えない事を意識してない(笑)

義姉はその度に、
「お母さん、それじゃお父さん分からない
 でしょうよ。」と言ってたな。

その義父が亡くなってから数年経つが、
亡くなった時、私は声を上げてないた。

自分でも驚いた。

わんわん声をあげて泣いた。

義父は、私を真っ先に家族として受け入れて
くれた人だった。

今日はここまで。
ありがとうございました。

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