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愛する人が亡くなったら、どう生きるのが正解なのか

この広い世界で出会い、恋に落ち、結婚する。
ありきたりな言葉かもしれないけれど、本当に奇跡的なこと。

とっても重く悲しいことのようだか、そういう話ではない。

愛する人が亡くなったら、どう生きるのが正解なのか。

私は、自分の祖母達をみて思うことがあった。

私には、愛する人がいる。彼とは結婚を控えている。一生を添い遂げたい。彼がいなくなることを考えただけでも泣きそうになる。

お見合いで結婚した母方の祖母。結婚生活を過ごしていく中で、私と同じかけがえのない感情を、ちゃんと抱いていたのだと思う。

病気や身体の弱いところを聞いたことのない祖母だった。
いつもグラウンドで話しているかのような声量で話す祖母だった。

『"こくまろ"好きやねん。面白いわぁ!!』

カレーのどこが面白いのか。
"きみまろ"のことだった。

そんな天真爛漫な祖母は、祖父が亡くなったあと、急に倒れて、祖父の元へと行った。
200歳まで生きると思えるほど元気だったのに、祖父が亡くなってからは、顔だけで笑ったような笑顔しかできていなかった気がした。
愛の力を知った。

〜こんな夫婦になりたいと思った〜

それから父方の祖父が亡くなった。
恋愛結婚だった2人。祖父は、とても祖母を愛していた。束縛が激しかったように思うが、祖母は祖父に尽くし、祖父の一生に添い遂げた。
幸せそうだった。最期の顔はとても優しい顔をしていた。

私は、祖母が心配だった。

最近、祖母に電話をした。

『オカリナ習いたかったけど、お教室近くにないからハーモニカ習い始めたねーん!』

とても元気だった。
1人になったからしたいことを自由に思いっきりするんだそう。安心した。
80歳を越えて、1日が24時間じゃ足りないと言っていた。
素晴らしいと思った。夫婦とはいえ、そもそもは他人で、個人の幸せがある。死ぬまでに後悔したくない。
きっと最期に後悔を述べるなら。
"アレをしなければよかった" ではなく、"アレをしてみたかった" であろう。

〜こんな女性になりたいと思った〜

どちらの祖母も大好きで尊敬する。

まぁ、長々と書いてみたが、私は、できることなら愛する人より先に。

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