『ブローニュの森の貴婦人たち』ロベール・ブレッソンの言葉を裏切る身体的運動
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ロベール・ブレッソン監督、1944年の長編第2作。ブレッソンは、まだ素人ばかりを使うこともなく、『天井桟敷の人々』、『オルフェ』などにも出演している大女優マリア・カザレスを起用して作ったメロドラマだ。18世紀フランスの哲学者ドゥニ・ディドロによる小説「運命論者ジャックとその主人」を原作にブレッソンが自ら脚色し、ジャン・コクトーがセリフを監修。没後60年「ジャン・コクトー映画祭」の一作としてデジタルリマスター版で上映された。ディドロの原作もので、最近何か見たなぁと思ったら、修道院の腐敗を告発したジャック・リヴェットの『修道女』(1966年)もディドロだった。
上流階級のエレーヌ(マリア・カザレス)が恋人ジャン(ポール・ベルナール)にフラれそうになり、彼の気持ちを確かめようと別れ話を切り出す。しかし、ジャンもあっさりその別れ話に同意し、エレーヌはジャンへの復讐を秘かに決意する。そして、美しい踊り子のアニエス(エリナ・ラブルデット)を彼に紹介する。アニエスの母は、昔エレーヌの上流階級の隣人だったが、今や落ちぶれ、娘の踊り子の商売で暮らしを立てていた。そんな困窮ぶりの親子をエレーヌは生活の援助して、ジャンとアニエスの恋を操ろうとしていた。
恋を失った怖い女の復讐話である。そして踊り子の女性を金で操り、元カレに恋をさせ、恋に盲目となった男を傷つけようとする酷い女の話だ。恋がまやかしであり、危うい幻想であることをジャン・コクトーは巧みなセリフで表現している。「恋しい」という本音を言わずに、別れ話という嘘を演じる女。そんな嘘の言葉を身体の運動が裏切っていくロベール・ブレッソンの演出が面白い。
ブローニュの森で会わせたアニエスに夢中になるジャン。そんなエレーヌの思惑通りに事は進んでも、ジャンへの恋心は隠し切れない。アニエスの家を傷心のうちに去ろうとエレベーターに乗り込んだジャンを追いかけて、エレーヌは階段を急いで駆け下りる。階段を昇り降りする身体運動は、言葉を裏切って本当の気持ちを表現する。踊り子のアニエスも、雨の中で家の前にいたジャンに傘を貸すために階段を昇り降りする。あるいは、家の中で「これが最後」と踊りまわる場面は、ジャンへの恋心を表現する秘かな身体表現である。それは、最初に出てきた商売で踊っていた身振りとは、明らかに違うダンスだった。そして、アニエスはその踊りの絶頂で失神して倒れる。運動と死。それは、そのままラストの幸福な結婚式と3度の失神で繰り返されるのだ。喜びの絶頂から死への転落。
また、雨はアニエスとジャンとの出会いのシーンで繰り返され、ブローニュの森で二人の出会う場所も滝のある場所だ。そして、雨の中で洞窟へと消える二人。水の力が二人の距離を近づける。
さらに踊り子という商売女だった過去を打ち明けようとアニエスがジャンに手紙を書くが、それは受け取ってもらえない。雨の中、車の窓に追いすがりアニエスは手紙を渡そうとするが、ジャンは「いつか晴れの日に二人で読もう」と無視し、その手紙は風に吹かれてアニエスの元に戻って来る。ちょっと笑ってしまった風に舞う手紙の演出だったが、そういうブレッソンのこだわりが、随所に垣間見られる。
幸福であるはずの結婚式で、アニエスの過去の商売を聞いて混乱するジャン。それがエレーヌの復讐心からだったと知って、結婚式を車で逃げ出そうとする場面も面白い。前後の車をぶつけながらの運転の錯乱ぶり。運動がここにもある。ラストは家に戻ったジャンが、仮死状態のアニエスを抱きかかえて、「いつまでもそばにいてくれ」と初めて本当の愛の言葉を口に出し、アニエスは蘇生してハッピーエンドとなる。
マリア・カザレスの強い目力と無表情な顔が印象的。「ブローニュの森の婦人たち」というシチュエーションは、売春婦や男娼たちが多い現代のブローニュの森のイメージとこの頃から何か関係があるのだろうか?
1944年製作/86分/G/フランス原題:Les Dames du Bois de Boulogne
配給:マーメイドフィルム、コピアポア・フィルム
監督:ロベール・ブレッソン
原作:ドゥニ・ディドロ
脚本:ロベール・ブレッソン
台詞監修:ジャン・コクトー
撮影:フィリップ・アゴスティーニ
音楽:ジャン=ジャック・グリューネンバルト
キャスト:マリア・カザレス、ポール・ベルナール、エリナ・ラブルデット、リュシエンヌ・ボガエル
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