映画『裸足で鳴らしてみせろ』触れることの愛おしさともどかしさ

「触れること」「聴くこと」「想像すること」についての映画だ。また楽しみに若手監督が出てきた。工藤梨穂監督が、PFFスカラシップ作品として制作した商業映画デビュー作。ややストレートな表現、台詞や脚本作りについて、まだまだ未熟な面もあるが、主演の二人の男の子たちがいい。触れ合うことが出来ずに、格闘することでしかを表現できない二人の男の子。光に満ちた手の美しい表情や、夜のプールなど印象的なシーンも多い。ラストは、ヴィム・ヴェンダースの『さすらい』だ。二人がそれぞれの車に乗って、並行して走りながら道が分かれていく。

裸足の足のアップから始まり、車から足は突き出され、槙(諏訪珠理)を象徴する。タイトルにもあるように、裸足の足が出てきて、サハラ砂漠の砂浜の音を聴かせるために、小麦粉の粉の上を踏み鳴らす。いわゆる映画の音づくり、効果音の話でもある。目が不自由になった養母・美鳥(風吹ジュン)の願いをかなえるために、槙は世界各地を旅して音を録音し、美鳥にカセットテープで世界各地の音を聴かせる。しかし、それは虚構で作られた嘘の音だった。世界各地へ旅などせずに、効果音を二人で作り出すのだ。サハラ砂漠やイグアスの滝、カナダの小麦畑やオーロラ・・・。つまり虚構の世界を作り、相手に想像させて喜ばす「映画づくり」そのものに二人は夢中になるのだ。父の不用品回収会社で働く直己(佐々木詩音)は、父(甲本雅裕)と二人で暮らしで、父の押しつけがましいの束縛を受けている。そんな直己の閉塞感が、狭い食卓シーンで描かれる。それでも今どきの男の子たちは、優しい。養母の美鳥ちゃんにも、父にも優しい。

直己はカナダに留学する女友達(伊藤歌歩)の手を触れられない。海に行ったときの砂遊びで触れられない手。「どうしてみんな、触れ合える相手を簡単に見つけられるのだろう」と直己は自問する。そしていつしか、触れたくなる相手が見つかったのに、単純に触れることが出来ない葛藤が描かれる。男の子二人のじゃれ合うような格闘は、次第に激しさを増していく。お互いを傷つけ合うように、をぶつけ合う格闘は痛ましい。キスとかセックスとかに至れないのもどかしさが、しつこいぐらいに描かれる。クロールの息継ぎが苦しいのなら、背泳ぎでもいいのだ。直己が犯罪を犯す場面はやや唐突だし、女友達との再会も、とって付けたような感じがある。それでも好感が持てる初々しさを感じた。

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