見出し画像

たーちゃんとアメリカと夢 12 いよいよ留学準備の巻


1995年、こつこつと貯めた留学資金が目標額に近づいてきました。ビザの申請に十分な額の残高証明が必要だと留学の歩き方に書いてあったので、とりあえず目標は200万円。

それで…何処に行こう。

当時はインターネットが無かったので、図書館に行きました。図書館には、各国の日本人を受け入れてくれる大学の情報が揃っていました。まず、行ったことがあるイギリスを見ていたのですが、ヨーロッパは学費も家賃もびっくりする程高かったので、カナダかアメリカに絞って探しました。東海岸より西海岸が安かった。結局ロサンゼルスのコミュニティカレッジ(2年制大学)に行く事に決めました。

行き先が決まったら入学申請です。アメリカの大学入学申請にはTOEFLの証明が必要だったので、知り合いに特訓してもらって受けに行きました。それまで、英語は勉強せずに何となくやり過ごしていたので、コミュニティカレッジの必要最低基準をギリギリ、本当にギリギリ取れました。一緒にTOEFLの勉強をしていた、コロンビア大学に行くというお友達はほぼ満点だったらしい。さすがです。こちらに来て、一緒にコミュニティカレッジに通っていたお友達の沢山の方々はまず語学学校に通って、そこからコミカレに編入されていました。そんな方法もあったのか〜と思いましたが、たーちゃんには金銭的に余裕は無かったので、やはりTOEFL取ってきて正解でした。

まず、申請書をEl Camino collegeから取り寄せて、記入して、TOEFLと高校の卒業証明、専門学校の卒業証明などを同封して、送り、祈りました。

しばらく経って、Acceptanceの通知がやって来ましたよ〜。

その通知を持って、いよいよビサの申請です。

大阪梅田にあるアメリカ領事館で面接がありました。面接は以外にもカウンター越し防弾ガラスがあったかな?領事館の方は終始英語で話されていて、たーちゃんがちゃんと理解出来ているのかを見定められていたので、それはそれは緊張してしまって、まるで怪しい、本当に怪しい。後ろめたい事があるんじゃないかと疑われても仕方ない程緊張してしまったんですよね。何でだろう。ビザの判子を押していただいた時、心底ホッとしたよ。

ここからですかね、アメリカのオフィサーは妙に緊張する。いつまで経っても。

無事にF1ビザ(学生ビザ)が発行されたので、それからは、送迎会の毎日で、飲んで、泣いて、また飲んで、泣いて出発まで過ごしたたーちゃんでした。

ちなみに、なんせ20年以上前の話なので、それから9/11があり、ここに来てウイルスの問題などあり、留学の手続きなどは変わっているのだろうな〜と思います。

さて、次回いよいよ、やっとたーちゃんアメリカに上陸します。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?