2024年現在における生存の難易度 〜人間観察から見えてきたもの〜

社会が複雑化しているというようなことは、近頃よく言われることである。本当だろうか。また、近年生きることがより難しくなったということもちらほら聞くがそれは事実であろうか。今回はそれらに対する僕なりの見解をいくつか述べていきたいと思う。

僕はさっき街から帰ってきた。街で色々と人間観察をしてみた。街には日本人をはじめ、中国や台湾や韓国から来たと思われる観光客が溢れていた。彼らは当たり前のように生きていた。生きることになにも疑問を感じていないようであった(もちろん彼らの思考や深層心理までは読むことができないけれど)。

それなりに、苦しみを味わってきたであろう表情をした者が散見されたが、もっとも観光客の多くはそれほど深刻な経済状況下にはいないはずだ。少なくとも、彼らは海外旅行をすることができる経済的状況であり、そのための時間と自由を持っているのだから。

彼らは現代という時の先端で生きている。まさに、今この瞬間を生存している。氷の街で。雪の街で。広い暖かい地下空間で。

生存するということを考えたときには、まず動物的生存ということを考えなくてはならない。この、動物的生存とは時代や各個人の持つ性質を超越したものである。僕らは動物的生存のうえにそれぞれ特殊な人間的生存をしているのである。

僕らは人間である以前に動物であるから、日々なにかを食べなければ死んでしまう。また、生存における最低限の条件が満たされたあとには、なにかしらの快楽を求めるものである。そこには、肉体的快楽だけではなく精神的快楽や知的快楽というようなことも含まれている。基本的に男は女を求めずにはいられず、女は男を求めずにはいられない。そして、これらを手に入れたあとには生の倦怠が待っている。

各時代、各階級により生存の難易度は異なるだろうし、各個人が持つ性質や状況によってもそれは異なってくるだろう。ただ、食べて、男女の交わりをして、権力を維持して満足だという人間もいるだろうし、あらゆる物質的なものを手に入れても虚しさに胸が張り裂けそうだという人間もいるであろう。

僕は現代が特別生存が難しい時代だとは思わない。いくら、社会の末端のシステムが複雑化し各個人が使うテクノロジーが日々めまぐるしく進化したとしてもだ。地球温暖化や大気汚染や新種のウィルスの脅威が日常生活のあらゆる部分に浸透していたとしてもだ。

今日はこれで終わりにしようと思う。

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