見出し画像

日本の旅 vol. 1

今回は1週間の日程で、北海道→名古屋→三重→名古屋→東京→横浜→北海道の順に旅をした。旅をしながら日記作品の原稿を一つ完成させて、出版社に送付した。旅の効能としては、知らない土地に関する様々な見識を得れること、居住地での生活を遠距離から眺めることができること、物理的移動の副産物として思考や記憶を圧縮できる(また感覚として時間を圧縮することもできる)ことなどが挙げられると思う。

今回の旅も大変な旅であった。行き先は何度も変更された。僕が空港に降り立つと、その空気は澱んでいた。大体、このような澱んだ空気というものは、被差別部落とかそのような場所で醸し出されるものなのだが、西日本の空港(僕が利用した幾つかの空港は)というものは概してこのように空気が澱んだ場所が多いと思う。そして、空港のロビーには殺気が漂っていた。

僕は空港に着いて、足早にホテルへ向かおうとした。やらなければいけないことがいくつかあった。それで、駅の切符売り場で切符を買おうとしていると、財布がなくなった。早速、終わったと思った。現金もキャッシュカードもクレジットカードも身分証明書も全部その財布の中に入っているのだ。頭の中が真っ白になるとはこういうことをいうのだろう。しばらく呆然自失の体でいると、知らない強面のおっさんが疑いの表情を浮かべながら僕を見ている。僕が駅の券売機のところで財布を見つけて取ろうとすると、そのおっさんは低い声でこのように言うではないか。

「随分前から置いてあったぞ」 

まさに、泣き面に蜂だ。

「財布を置き忘れただけです」

そのおっさんはそれでも、疑いの表情を崩さない。僕は身分証明書を見せた。

「あぁ、失礼」

ようやく、疑いは晴れたのだが僕の気分が恐ろしく悪くなったのは言うまでもない。正直、こんな場所に来なければよかったと思ってしまった。

日本は近年均一化が進んでいるというがやはり変わらない土地柄というものはあるようだ。それに空港というものは、様々な土地からきた人々が見栄を張り合う場所でもある。また、プライドがぶつかり合う場所でもある。

以前、僕がインドから帰国し、喫煙室でタバコを吸っていると、ある白人の男が話しかけてきた。確かノルウェー人だった。

「お前達はどこから来たんだ」

「インドです」

「インドは暑い」

男は不快な表情をした。

「何を言っているの。ノルウェーなんか寒くて野菜が育たないだろう」

僕の友人のインド人はそう言い返した。

こんな男もいた。

「ライターを貸してもらえますか」

「ライターを貸してくださいだろ。ここは日本なんだ」

空港には様々な国やあらゆる地方のビジネスマンがいる。彼らは露骨に見栄を張り合う。

この日は名古屋に泊まったのだが、酷いホテルに泊まってしまった。楽天トラベルでビジネスホテルを予約したのだが、とんでもない貧乏籤を引いてしまったようだ。貧乏籤ばかり引いていると正真正銘人生が終わると実感した出来事だった。繁華街の外れにあるそのホテルの部屋は酷く狭いし窓も小さくてフロントの男の対応は最悪であった。まるで、拘置所の独房のようである。やはり、旅というものは人生の縮図である。このような貧乏籤を引きづづけていると果たしてどのような人生になるのか。考えるだけでゾっとする。

三重県にアクセスした。三重というのは、名古屋など中京圏と近いが、文化や言葉は完全に関西だ。夜中に古い日本家屋が立ち並ぶ路地を歩いていると、前から自転車に乗りながらスピーカーでヒップホップを流している男が現れてすれ違った。奇怪さを感じさせるサウンドトラックに乗せられた、日本語ラップが聞こえてくる。それが真っ暗な一本の日本家屋が立ち並ぶ周囲の光景と溶け合っている。遠くには立ち並ぶアパート群や工場群が見える。この国の歴史と産業革命以来の現代的な均一化された光景が溶け合っている。僕らは過去の集積の上で生きているのだと実感した。

このあと僕は名古屋に帰ったのだが、このあとのことについては次回に書こうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?