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ジャズカフェにて

現代という時代は極限の効率とスピードが重視された時代である。巨大な経済を維持すること自体は悪いことではないのだが、ただそれに身を任せていると己を見失ってしまうどころか、全ての意味が無くなってしまうという危険性を孕んだ時代でもある。まず、現代においては死の意味が剥奪されている。科学は疫病や多くの問題を解決してきたが、その根底に強靱な哲学が必要なことは20世紀を通じて判明されたと思う。人類の歴史において20世紀ほど多くの実験が行われた時代はなかった。また、膨大な問題が判明した時代も無かったと思う。多くの疫病が克服された反面、多くの戦争が行われた。また、その戦争の性質は19世紀までのあらゆる戦争の形態とは異なり、ロマンが剥奪された、しばしば戦闘自体の意味すら失われた、殺伐としたものであった。毒ガスが使用され、細菌兵器が使用され、核兵器が使用された。人間の悪意があれほどまでに膨張された時代は20世紀だけであった。その反面、有史以来長年人間を苦しめてきた多くの疫病は克服され、多くの先進国ではもはや人間にとって本当の脅威はガンとエイズのみという状態になった。

近年、世界中でまだまだ格差は存在し、また、日本などの国ではそれが激しくなっているといわれているけれど、特にアジアなど多くの経済的途上国では目覚ましい経済的発展が続いていた。今日はコロナウィルスの蔓延下、目下大混乱の最中で、世界的な実体経済は著しく停滞している。しかし、また、世界各国で凄まじいスピードでワクチン開発が行われた経緯も同時に考えてみるべきである。これは、19世紀以来の科学のデータの膨大な量の蓄積の結果である。ロシア、中国などいわゆる修正主義勢力はいち早くワクチンを実用化し、中国はAIやITを屈指したデジタル監視主義によりウィルスの早期抑え込みに成功した。アメリカや西欧各国では思うようにウィルスを抑え込むことができず甚大な被害を被ることになった。無論、ファイザーやモデルナなどの製薬会社は早期にワクチンを開発することに成功したが、国内は分断され、トランプ政権は終焉した。2021年のこの時代にあれほどの野蛮性を持った政権が存在していたということ自体驚きであるけれど、それが最後は感情に触発されて動く人間の本質なのである。

ある中国人の少数民族の女性と電話で話したことがあった。極寒の気候の中、僕は北海道、札幌、ススキノの雑居ビルの中にいた。その女性は以前千葉大学で細菌学を専門に勉強していて、彼女によれば、「現在はコロナウィルスとの闘いの第一段階」であるそうだ。これから人類は長くコロナウィルスと共存していかなければならないのだという。僕はこの危機の発生以来比較的楽観的に考えていたけれどどうやら早急な事態の解決は望めないようだ。事態は刻々と変わっていくのだろうが、徐々に海外旅行ができるくらいの状態にはなっていくのだろうが、僕らはコロナウィルスとの長期戦を覚悟しなければならないのかもしれない。これは、僕にとって非常に辛いことではあるのだが。

さて、ジャズが流れている、集団客の歓声が聞こえる、僕はその中でこの文章を打っている。ここは、比較的文章を書きやすい環境である。そろそろ、この文章の執筆を終わりにするとしよう。

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