わたしがミニマリストになったら
いつも荷物が多い。心配性で、必要になる可能性があるものは持っておきたい性分なので、常にバッグは中身がいっぱいだ。モバイルバッテリー、ティッシュ、ウエットティッシュ、ハンカチの替え、ペンケース(これにはペン類が詰まっている)、香水やボディスプレーなどがいつも入っている。日によっては、仕事が早く終わったらジムに行くかもしれないからそのための着替えや、サウナに行くかもしれないからサウナハットを入れている日もある。
一つ一つは大した荷物ではないけど、これを入れるために、パッキングというメーカーの大きめのバックパックを愛用しているので、「そんなにパンパンで、なにが入っているの?」なんてことをよく聞かれる。ぼくだって荷物を少なくしたい。重いから肩凝るし、「そんなにパンパンで、なにが入っているんですか?」に対して面白い回答ができないのも悔しい。何より、入れているものを急に要するといった場面はほとんどない。
その日、ぼくはスーツを着ていた。ぼくの勤めている会社はドレスコードが無いため、顧客などとの打合せ等が予定されている日以外は私服で通勤している。その日は、顧客と一日中対面する日だった。
会社ではなく、別会場で仕事だったため、その日必要になる書類等は会社から宅急便で会場に送られている。
「ビリッッ」
今まで聞いたことない音だったけど、なにが起きたかは判った。台車に乗っていた荷物を地面に降ろすときに、ぼくが履いていたスラックスが破けた。破けたことを認知したぼくは恥ずかしくなって「あぁっ」と、ワントーン上がった変な声を発した。
荷物を降ろすことなど忘れて、ぼくはすぐにその場から遠ざかった。とても焦っている。破れたであろう箇所を触ると、明らかに素肌だ。お尻の真ん中より少し下辺りから左ももの真ん中くらいまでの範囲で裂けている。絶妙に太ももが露わになっているのがなんとも恥ずかしい。
居合わせていた同僚に「敗れちゃいました~」と、焦りと恥ずかしさをひた隠すように、いつもより少し明るめのテンションで報告する。破れたスラックスを見た同僚は、笑ってくれている人もいれば、「あ~・・・」と若干引いている人もいる。
それでも、顧客との対面時間は刻一刻と迫っている。ひとまず、替えのスラックスを買えないかと近くのユニクロやスーツ屋を探す。時刻は朝の9時。どこもまだ開店はしていなかった。どうしようもないとはこのことか、と途方に暮れていると、先輩が「ガムテープで隠したら?」と勧めてくれた。もうそれしかないとおもい、ぼくはジャケットを脱ぎ、そのジャケットを後ろで組んだ手で持ち、破れた部分を隠すようにしてトイレに向かった。
トイレで、スラックスを脱ぎ改めて破れた箇所を確認すると、まあなかなかに破けている。「これ隠せるの・・・」と小さい声で独り言を言いながら、ガムテープをスラックスに何重にもして貼り付けた。股にガムテープが密着する不快を感じながらスラックスを履く。トイレの入り口にある全身鏡の前で、体を鏡と反対向きにして、上半身だけ鏡側に捻り補修箇所の確認をする。意外といけるかもしれない、と安堵のため息をつく。
同僚の居る部屋に戻り、ガムテープ補修を勧めてくれた先輩に見てもらうと、「マシになったけど、ガムテープ見えてるな」と笑いながら言われた。破れたことを知らない人がぼくの後ろ姿を見て、後ろ指指しながら笑う姿を想像して、ぼくはユニクロが開店したらすぐに買いに行こうと決心した。
しかし、いざ顧客対応が始まると、ユニクロに行く時間が無いくらい忙しく、いつの間にか一日が終わった。一日中、他人が裂け目に気付かないように、歩くときはお尻の筋肉を少し締めた。
顧客対応に気を張っていたのもあり、終わったあとは緊張が解けて疲れが一気にやってきた。ガムテープ補修を勧めてくれた先輩から「飲みいくか」と誘ってもらったので居酒屋に行った。よりによってほぼ満席で、通されたのは奥の席だった。それなりにお代わりをして、ほろ酔い状態で解散した。帰りの電車では、他人が裂け目に気付かないように、車両の端に背中を密着させた。
帰宅し、改めて破れたスラックスを眺める。荷物を少なくできるまでにはまだ時間が必要そうだ。
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