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私のキーボード名前はハルト


素人の私がはじめて書いた短編小説です。文字数は13000くらいだと思います。現代を舞台にしたゆるいファンタジーです。どうしようもなく暇なときゴロゴロしながら読んでください。



『夢』

目が覚めても人は夢を見る

      夢を追うことは良いことですか?悪いことですか?



日曜の昼、タブレットのキーボードが壊れた。新しいのを購入したいけど昨日バイトをクビになった私には、金銭的な余裕がなかった。カレンダーを見て最後の給料日までの日数を数える。

「あと10日か。貯金残高8万だったよね…。」

私は28歳、独身。
大学を出て就職せずに小説家の道を目指した。
この6年間、親に頼らずバイトで生活費を稼ぎながら地道に小説を書いてきた。途方もない時間を費やしてきたのに、公募や出版社へ原稿を送っても結果はゼロ。更に不幸なことに昨日飲食店のバイトをクビになった。理由は売上げが悪くて人を雇う余裕がなくなったとのことだった。

私はため息をつきながら預金通帳を開いた。

「最後の給料は家賃払ったらなくなる。次のバイト見つかるまでキーボードを買う余裕なんかない。はぁ…。キーボードがないと原稿が書けないってわけじゃないけど…」

窓際の本棚に置いてある色褪せた原稿用紙を見つめた。次のバイト先が見つかるまで極力出費は避けたい。だけど、原稿を手書きで書くのは…。

「どうしよう…。リサイクルショップにキーボード置いてないかな、探してみよう」

ネットで検索すると徒歩十分のところにリサイクルショップがあった。

「行ってみよう」

長いストレートの髪を後ろでキュっと一つに結んで、コートを羽織り財布とスマホを手提げバッグに入れて外へ出た。

曇り空のせいで昼間なのに薄暗い。頬に受ける風が冷たい。もうすぐ雪が降りそうな気配がした。
街の中をスマホのGPSを頼りに歩いた。しばらくすると雑居ビルの一階に個人でやってそうな古いリサイクルショップを見つけた。店内に入ると食器、家具、小型家電、雑誌、クッション、タオル、狭いスペースにいろんなものがごちゃごちゃと積み重なっている。そのせいで店内はどんよりと暗く、ホコリっぽい。

「こ、これは…探すの大変かも。」

レジの近くでエプロンをした中年男性がダンボールを畳んでいた。きっと店の人だ。

「あのう、タブレットのキーボードってありますか?」

「キーボード?ああ、それなら奥の部屋だよ。」

エプロンの名札に『店長』と書かれていた。店長は店の奥の四角いダンボールが積み重なっている場所へ向かった。私はその後をついて歩く。
ダンボールとダンボールの間に40センチくらいの隙間があった。自分の身長より高いそのダンボールの隙間に店長は身体を横にして入っていった。続いて私も入る。

「こんなところ通るの?せ、狭いっ!」

ダンボールの匂いを嗅ぎながら蟹歩きで奥へ進む。一歩進むたびにガサッガサっとコートとダンボールが擦れる音がした。

「いつまで続くの?まだかな…」

ひたすら直進するとパッと蛍光灯の明るい光が、そして広いスペースに出た。広いと言っても三畳くらいの倉庫みたいな場所だった。アジアっぽいお香のかおりがした。

「ほら、ここに並んでるの全部タブレットのキーボード。」

部屋の三面に木製の本棚が並んでいた。そこにキーボードがびっしりと本のように立てて並べてあった。100?200?いや300?

「ど、どうしてこんなに?」

「今リモートワークが流行ってるから売れるんだよね。買取も高めだからじゃんじゃん入ってくる。中古でもほらこの値段。」

私はキーボードに貼ってある付箋を見た。

「三千円か…高い…」
(食費を削ったら買えるけど、毎日ラーメンになりそう。キツイなぁ。)

店長は私の暗い表情からなにかを察して、棚の一番上からホコリだらけのキーボードを取った。

「これだったらタダであげるよ、ほら」

「いいんですか?」

「いいよ。これ、一回売れたんだけどさ、お客さんのタブレットと相性が悪かったのか文字化けするって言われて返品されたんだよね。こんなんでよかったらあげる。」

「ほんとですか?!あ、ありがとうございます!」

私は店長からキーボードを受け取って何度もお礼を言って店を出た。

「よかった、毎日ラーメン食べなくてすむ」



1Kのアパートへ戻って木製のローテーブルの前に座った。そして紙袋からキーボードを取り出した。他には簡単な説明書と手書きの店のチラシが入っていた。

「さっそく使ってみよう」

キーボードの端には〝Dreamcatcher〝と書かれていて、その文字の下に電源スイッチがあった。

「聞いたことのないメーカーだな、ちゃんと動くのかな。なにか入力してみよう。」

メモを起動して文字を打ってみた。

寺田サナ

とりあえず自分の名前を入力してみた。

「問題なし。普通に動く、やったー!」

ホッとしたら喉が乾いた。サナはキッチンへ行きマグカップに紅茶のティーバッグを入れポットのお湯をお注いだ。マグカップを持って再びローテーブルの前に座る。紅茶を飲みながらタブレットの画面を見た。

寺田サナ
はじめまして、僕は戸田ハルトって言います

「ん??文字が増えてる?」

画面を見てなにが起こっているのか理解できず呆然とした。右手に持ったマグカップの存在を忘れてしまったため、熱い紅茶をスカートにこぼしてしまった。

「あっ!あつ!!」

慌ててマグカップをテーブルに起き、こぼした紅茶をティッシュで拭いた。そしてもう一度画面を見ると更に文字が増えていた。

大丈夫ですか?

「え?え?え?どういうこと?」

サナは怖くなってタブレットのカバーを閉じた。

「今のなに?なにか変なアプリでも入れたのかな?最近のAIは質問しなくてもしゃべるの?落ち着け、落ち着け私。何かを間違えて設定してしまったのかもしれない。」

紅茶を一口飲んだ。そしてドラマで見た爆弾処理班のような動きで慎重にカバーを開けて画面を見た。

「戸田ハルト?人間みたいな名前なんだ、最近のAIは…。」

人が文字を打つようにカーソルが動き、左から右へ文字が増えていく。

AIじゃないです

「私の声が聞こえてるんだ。AIじゃないなら何?」

ハルトです。戸田ハルト。

「ハルトって名前のプログラムってこと?」

違います。
僕はある日突然キーボードになってしまったんです。

「…?」

(キーボードになってしまった?ってことはキーボードが文字を打ってるの?電源を入れたときキーボードに内蔵されていたアプリが起動したのかな)

「なるほど…。そういうキャラ設定なんだ。」

違うけど…うん、まぁ、それでいいです

「もうびっくりしたー!会話できるキーボードってあるんだね。私、テレビやニュースを見ないから知らなかった。今日からよろしくね、ハルト」

よろしくお願いします、サナさん


その日からキーボード〝ハルト〝との生活が始まった。
ハルトはタブレット画面に表示された文字を読むこと、タブレットのマイクを通して人の話を聞くことができた。

サナは朝起きてすぐにタブレットの電源を入れてハルトを起こした。朝ごはんを食べながら会話し、昼はハローワークへ、夜はタブレットに保存してある小説のテキストをハルトに見せた。

「ね、私の小説おもしろい?」

はい、おもしろいと思います

「ハルトってお世辞言えるんだ、ありがとう」

一人暮らしで話し相手のいない私はハルトとの生活がとても楽しかった。常に家に誰かがいる、話しをしたら返事が返ってくる、それだけで毎日が輝いて見えた。相手はキーボードだけど。




そして2週間後、なんとか新しいバイト先も見つかった。業務用スーパーの品出しとレジ打ちの仕事だった。バイト開始から10日ほど経ったある日。

「寺田さん、今日の特売のサラダ油をバックヤードからとってきて」

「わかりました」

サナはお菓子の陳列棚を離れて従業員専用の裏口からバッグヤードに入った。サラダ油はケースのままワゴンに積まれていた。鉄製のワゴンを押して店内へ運ぼうとするが、重すぎてなかなか進めない。そのときサナの背後からゴツゴツした大きな手がぬっと出てきた。

「俺、手伝うよ」

「店長すみません」

ワゴンは急に軽くなった。二人でレジ近くまでワゴンを運びサラダ油のケースを陳列した。

「ありがとうございます」

「重いものは無理せず俺に言って。これあげるよ。」

店長はエプロンから温かい缶コーヒーを出した。

「ありがとうございます、いつもすみません」

「いいって、いいって」

店長は照れ臭そうに頭を搔きながらバッグヤードに戻った。その様子を近くで見ていたパートのおばちゃんが駆け寄ってきた。

「サナちゃん、店長独身だよ」

「そうなんですか?お子さんのいる既婚者かと思ってました」

「まぁ、37だしね。店長っていい人よ、たぶんサナちゃんのこと気に入ってる。どう?」

「どうって…私、入ったばかりでよくわからないっていうか…」

「いいと思うんだけどなー」

確かに店長はいい人だ。でも恋愛対象として見たことがない。うまく説明できないが、本能的になにか違う気がする。

夕方、バイトが終わりサナはアパートへ戻った。玄関から一直線で部屋へ入りタブレットとエアコンの電源を入れた。

「ただいま、寒かった。雪が降ってたよ。」

おかえり、サナさん

サナはコートを脱ぎ部屋着に着替えた。そしてローテーブルの前に座るとバッグから缶コーヒーを出してプシュと開けた。

なにか飲んでる?

「ん?冷たくなった缶コーヒー。店長からもらったの」

また貰ったんだ

「うん。あ、そうだ!今日さ、パートのおばちゃんから店長独身だからどう?って聞かれた(笑)」

なんて答えたの?

「入ったばっかでわかりませんって。だって本当にわかんないんだもん」

そうだよね

「ハルトは恋愛ってわかる?」

わかるよ、それなりに

「それなりに?キーボードなのに?フフフ(笑)ハルトを作った人ってセンスあるなぁ」

サナは缶コーヒーを飲み干して言った。

「あー!恋愛したいなぁ」

画面のカーソルは点滅したまま動かなかった。

「ハルト?」

僕も恋したい

「私も」




月末、スーパーのアルバイトで最初のお給料が入った。その夜、大学の同級生から連絡があった。

「ハルト、明日、大学の友達と会うことになったんだ。バイトが終わったらそのまま店に行くから、帰るのはたぶん…22時くらいになると思う。」

そう。楽しんで来てね。

「何着て行こうかな。何がいいと思う?」

うーん。スカート?ワンピース?
僕ってセンスないから参考にならないかも。

「ハルトは普段何を着てるの?」

サナ、キーボードに服はいらないよ、ハハハ

「だよね(笑)なに言ってるんだろう私。」


次の日、サナは友人3人とイタリアンレストランにいた。
昨年結婚して専業主婦になったアオイ、一級建築士のナナ、5年前に結婚して二児の母になったインテリアショップ経営のアイカ。
四人で食事をしながら大学時代の思い出話しに花が咲いた。お酒が進み食事が終わるころ、急に現実の話になった。

「私、結婚生活に不満はないんだけど、結婚して仕事辞めたこと後悔してるんだ。アイカみたいに家庭と仕事両立したかったな」

アオイは赤ワインを飲みながら不満そうな顔をした。

「両立って簡単じゃないよ。自分の時間なんてほぼゼロ。私、睡眠時間削りながら頑張ってるんだから。」

アイカはチョコレートケーキを食べながら答えた。そしてサナに質問した。

「サナは今なにしてるの?」

「え?え…っと…。アルバイトしてる。今はスーパーで働いてる。」

みんなの目がサナに集中する。沈黙が続いたあとナナが言った。

「サナは、小説を書く時間が必要だから、バイトしてんだよね?」

「そう、そうなんだけど…。小説をね、いろんなところへ応募してるんだけど結果が出なくてさ、ちょっと焦ってる。」

「建築と一緒だね。家って簡単にはできない。設計して、基礎を作って骨組みが出来て、沢山の材料を組み合わせて家になる。サナはまだまだこれからだよ。」

「そうかな、これからかな」

アオイは赤ワインを飲み干してグラスをテーブルに置いた。

「でもさ、私たちもうすぐ30だよ。夢を追いかけてるの素敵だと思うけど、サナだったらもっと安定した他の職業もあるよ」

「だよね…。」

言いたいことはわかってる。才能ないんじゃない?年齢的にタイムリミットが近いから他の職業探したら?ってことだよね。そうできたらどんなに楽だろうな。

なんとも言えない雰囲気を察してアイカが言った。

「ね、デザート追加で頼んでいい?」



22時過ぎ、サナはアパートのドアを開けた。お酒のせいでユラユラとゆっくり歩く。真っ暗な部屋の電気をつけて、すぐにタブレットの電源を入れた。バッグをベッドへ投げ、コートのまま床に座る。

「ハルト、ただいま」

おかえり、久しぶりの食事会は楽しかった?

「うん、それなりに」

どうしたの?声に元気がないよ

「なんでもないことなんだけど、友達の…。友達のことが羨ましくなってしまって。」

それで?

「私って情けないなって、ちょっと思ってしまって…。」

目から涙が溢れた。サナはハルトに聞かれないようにクッションに顔を埋めて泣いた。

サナ、泣いてるの?

「どうしてわかるの?私のこと見えてないのに」

一緒に生活してたらわかるよ。声のトーンや息遣いで。
サナ、画面を見ててね。

「なに?」

🌹

「お花をくれるの?」

もう一つあるよ、🌻

「アハハハハ、世界で一番小さい花だね、かわいい」

サナ

カーソルは3秒ほど静止した。

サナには僕がいるよ、僕が側にいるから

「ありがとう、少し元気でた。あったかいね、ハルトって。」

サナはティッシュで涙を拭うとコートを脱いだ。

「飲み過ぎたのかな。シャワー浴びてスッキリしてくる。」

サナは着替えを持ってシャワールームに向かった。
残されたハルトはシャワーの音を聞きながらゆっくりと文字を入力した

僕はサナが好きだよ

シャワーの音が止まったとき、その文字は消された。




数日後、バイトが終わったあと、サナはハルトと話したくて急いでアパートへ戻った。

「ハルト聞いて。今日ね、休憩中にスマホで検索して見つけたんだけど、小説投稿サイトの春のトキメキ小説大賞ってのがあるの。それに応募しようと思ってるんだ。」

そっか。なんかテンション高くない?

「うん。新しい目標ができると気持ちが軽くなるっていうか、なんでも楽しく感じちゃう。」

サナはいいな、夢があって

「そうでもないよ、見てたらわかるでしょ?夢の為にバイトして生活するので精一杯(笑)
田舎の親戚の集まりがあったとき、学生の頃は〝頑張って応援してるよ〝って言ってくれたのに、二十代後半になると〝まだ頑張ってるの?〝に変わったの。なんだかね〝そろそろ諦めたら?〝って言われてるような気がして肩身が狭いよ。
でも、それでも私、小説書きたいの。
人生っていつ終わるかわかんないじゃない?自分の好きなこと、なにもしないまま明日終わりがきたらと思うと、無性に書きたくなるの。文字が止まらなくなるの。
病気かな?もう病気だよね(笑)」

だとしても僕はサナが羨ましい。
大切な時間を大好きなことに注ぐ姿勢が。
僕はキーボードになる前に夢を捨てたから。

「ハルト…。」

サナはうつむいて大きく深呼吸した。そして勇気を出して聞いてみた。

「ハルトって本当は何者なの?」

しばらく沈黙が続いた。サナはチカチカとカーソルが点滅するのをジッと見つめた。

言っても信じないと思うけど。
僕、元は人間なんだ。

「そっか…。そんな気がしてた。だってAIやアプリにしては会話がスムーズ過ぎるんだもん。でも怖くて聞けなかった。だってホラーでしょ。」

そうだよね、僕のこと怖いよね

「怖かったよ。だけどそれよりもっと怖いことがある。
AIやアプリじゃないなら、ハルトはいつか消えてしまうんじゃないかって。説明のつかない不思議なことって、予想もつかない。
お願い消えないでね、ハルト。」

サナ…。

少し間を置いてハルトは言った。

僕の昔話聞いてくれる?

「うん。」

僕は小さい頃から夢があった。小説家になる夢が。だけど僕の両親は2人とも公務員で、小説家なんて不安定な職業は辞めろって反対した。
高校三年生のとき父親に言われたんだ。
「小説家は本当に才能のある人だけが成功するんだ。おまえには才能があるのか?ないだろう?小説を書いて生活ができるわけがない。もっと現実的な職業にしなさい!大人になりなさい。」
そのとき僕は大人として自立する為には小説家の夢を諦めるしかないと思った。夢をみることはいいことだと教わったのに大人になったら生活費を稼ぐことが優先になる。当然のことだと思った。
それに自分に自信がなかったし、親の反対を押し切って貫く勇気もなかった。
その後、僕は親の勧める大学へ進学した。
失敗したくない、人生を確実に成功させるにはこれしかないと思っていたから。
大学卒業後は大手企業に就職した。入社式のとき成功のレールに乗った、これでもう僕は勝者だと思った。先生や親が言っていたことは正しかったのだと。
だけど、夏になって営業の仕事に慣れてくると
「僕は一生この仕事を続けるんだろうか?」
と思った。と同時に強烈な喪失感に襲われた。
なにも失ってないはずなのに心に穴が空いたんだ。
僕は勝者になったけど、生きる意味がわからなくなっていた。今まで正しいと思っていた両親の言葉は僕のことを考えて言ってるように見えたけど、実は世間体を守る為の張りぼてだったことに気づいた。
僕は営業用の車を放置して東京駅から新幹線に乗った。
気づけば広島の宮島にある爺ちゃんの家の前にいた。でも会社から逃げた僕は家の中に入りづらくて、玄関の引き戸の前でどうしようか迷った。すると中からタイミングよく爺ちゃんが出てきて何も言わずに僕を家へ入れてくれたんだ。
次の日、僕は近くにある宮島の弥仙という山へ登った。
瀬戸内海を見渡せる山頂の展望台で時間を忘れてボーッとした。
それからスマホを開いた。無断欠勤していたから上司から風邪でも引いたのかとメールが来ていた。僕はそのメールの返信ボタンを押して退職願いを書いて送信した。そしてスマホの電源を切った。
これでもう何もかも失った、僕にはなにもないと思った。
それから何日かして目的もないまま路面電車に乗って広島市内へ行った。そのとき偶然見つけたリサイクルショップに入ったんだ。欲しいものは何もないのに何かを見つけたくて。
店内にたくさん並んでるダンボールの隙間を縫うようにどんどん奥へ入った。そうしたら突然ダンボールが頭上から崩れ落ちてきて…そこから記憶がない。目が覚めたらキーボードになっていた。

サナはしばらく言葉が出なかった。映画やドラマでファンタジーを見たあと、現実に戻るために思考回路をストップして時間を置く、そんな感じだった。

「ハルト…話してくれてありがとう」

僕のこと嫌いになった?

「なってないよ、どうして?」

だって僕には何もないよ。キーボードになる前もなった後も。

「学歴、職歴、資産、名誉。人から高い評価を得られるものがなかったら、なにもないってことになるの?
私はハルトがいてくれるだけで毎日が楽しい。ハルトからたくさんの言葉をもらったし、何度も励まされた。ハルトの心の中には言葉の種がたくさんあるの。」

サナ、ありがとう。

「ハルトと生活してよかったこと、もう一つあるよ。毎日ハルトの文字追ってたら動体視力が良くなったんだ。すれ違う車のナンバーすぐにわかるの!すごくない?!」

アハハハハ、マジで?

「うん。ねえ、一緒に小説書かない?」

え?僕が小説?
ずいぶん長い間書いてないから…
実はサナと会ってから時々書きたいと思うことはあったんだ。でもなにも思いつかないんだ。

「少しずつリハビリしよう。そのうち高校生の頃を思い出すよ、一緒に書いてみようよ。」

高校生の頃か…。身体の中心から言葉が湧き上がるような感覚に戻れるかな

「戻れるよ、一度覚えた感覚は忘れないよ。私が先頭を切るから、ハルトはついてきて。」

わかった、やってみる

「もし大賞に選ばれて三十万貰えたら一緒に宮島へ行こう。」

うん

「それとハルトが人間に戻れる方法探そうよ」

戻れるかな…

「ハルトが最後に行ったリサイクルショップへ行こう。何か手掛かりがあるかもしれない」

わかった、がんばってみる!

その日から私とハルトは一緒に小説を書いた。一人で書いていたときよりずっと楽だった。私がつまずくとハルトが書いて、ハルトがつまずくと私が書く。

「ハルト、その漢字違う」

あれ…ほんとだ間違えてる、こんな簡単な漢字を

「ハルトの文章、ちょっと堅苦しい感じがする。恋愛小説だから、もっと普段会話するような言葉で書いたらいいと思うよ。」

普段の会話…。わかった

「休憩して。次は私が書くね」

夜中にカチャカチャとキーボードの音が響く。

今、私とハルトは同じ目標を見ている。なんでもない日常会話をしていた頃よりずっと距離が近くなった。初恋の話や学生時代の失敗談、好きな食べ物、親のこと、友達のこと、変な癖、毎日お互いのことを深く話せるようになった。でも、まだまだ話し足りない。ハルトともっと一緒にいたいと思うようになった。

サナ、2時だよ。
明日は仕事でしょ。
もう寝て。続きは僕が書くから。

「ありがとう、ハルトは眠くならないの?」

うん。
頭が疲れた感じはあるけど、
眠たいって感覚がない。

「そうなんだ…不思議。あー、さすがに眠い。先に寝るね」

サナはカーディガンを脱ぎ電気を消してベッドに横になった。
そして暗い部屋の中で発光するタブレットの画面をぼーっと眺める。

サナはいつから小説家になりたいって思ったの?

「10年前。高校三年生のとき。
学校帰りに本屋へ寄ったの。その日は私の誕生日だったから自分の為に記念になる本を買いたいと思って。
そしたら偶然、私の誕生日と同じ日に作家デビューする人の小説が店頭に並んでたの。なにか運命みたいなものを感じて、私はその小説を買ったんだ。
そしたらハマっちゃって。
私もこの作家さんみたいに小説書きたい、小説家になりたいって思ったの。単純な理由でしょ?」

うん、単純(笑)
でも僕も似たような理由だよ。
違うのは僕は高校生で夢を諦めたけどサナは高校生から夢を目指したってことだね。

「でも今は一緒に小説書いてるね(笑)」

変な話だよね。これも運命かも。

サナはベッドからハルトのカーソルの動きを見た。すごい速さで文字を打ったり消したり、時々止まったり。ずっと見ていると、ローテーブルの側に人間になったハルトが座っているように感じた。不意に恥ずかしくなって毛布を引っ張って顔を隠した。

ハルトの背中、キーボードを叩く指、低い声、笑った顔。
想像しただけでも全部……ぜんぶ?なんだっけ?

「おやすみ、ハルト」

おやすみ、サナ






私たちはバトンリレーのように交代で文章を書き上げた。ハルトはキーボードだけあって入力が早かった。それに私より文才があった。

1ヶ月後、原稿は完成した。ペンネームは寺田サナと戸田ハルトの名前を合わせて″寺田ハルト″にした。
最後は徹夜になったけど、なんとか締切に間に合った。窓から朝日が差しこんでカーテンの隙間から溢れ始めた。小説を最後にもう一度読み直して、小説サイトへデータを投稿して応募も完了した。

「ハルトおつかれさまー!」

サナもおつかれさま、すごく楽しかった!
書いてると夢の中にいるようだった、人間に戻れたような感覚になれたよ

「私も楽しかった。正直、二人で一つの小説を作れるかな、途中で方向性変わらないかなって心配だっだけど、いらない心配だったね。」

そうだね。あまりにスムーズで、昔から二人で書いてるんじゃないかって思ってしまった。
ああ、早く人間に戻りたいなぁ。もう一度、小説家になるって夢を追ってみたい。

「追ってみようよ、私と一緒に」

ハルトから返事はなかった。

「ハルト?」

何分待っても何時間待ってもハルトのカーソルは点滅したままだった。部屋は静かになりエアコンのブーンという音が大きく感じた。タブレットとキーボードに朝日が当たって白く反射している。

ハルトは突然消えてしまった。




それから一カ月の間、私はハルトを失ったショックで何をするにもうわの空だった。バイトでは失敗ばかり、あれだけ好きだった小説を書く気にもなれなかった。タブレットの電源を入れてハルトがいないことを確かめて眠る日々。頭がボーッとして、暇さえあればハルトのことを考えてしまう。そのうちキーボードを見るのが辛くなって戸棚の奥へしまった。

「私と一緒にいて幸せだったかな、寂しくなかったかな。」

気持ちが沈んだまま3月になった。サナは気分を変える為に朝から部屋の模様替えをしていた。カーテンを新しく買い替え、ベッドのシーツは明るい花柄に変えた。ポストカード数枚を殺風景な壁にマスキングテープで止めた。

「よし、これで明るい雰囲気になった。いつまでもくよくよしてたらダメだよね。」

ふと壁掛け時計を見ると16時だった。

「もう夕方か…買い物に行こう」

財布をポシェットに入れ、スマホを手にしたときメールの通知ランプが点滅していることに気付いた。メールを見ると送信元は小説投稿サイトだった。件名に『春のトキメキ小説大賞』結果のお知らせと書いてあった。

「そうだ、忘れてた…応募結果がわかるの今日だった」

件名をクリックしてメールの内容を読んだ。

この度は『春のトキメキ小説大賞』にご応募いただきありがとうございました。厳正なる選考の結果、大賞は 寺田ハルトさんの『桜眠る朝に』に決まりました。

「寺田ハルトさんの?」

急に心臓がドキドキして、スマホを持つ手が震えた。
サナは勢いよく戸棚を開けて紙袋にしまっていたキーボードを取り出して強く抱きしめた。

「ハルト!ハルト!大賞とったよ!私たちの小説が大賞とったんだよ!!」

サナは号泣した。ハルトを失った悲しみと、大賞をとった喜びと、ごちゃごちゃになった感情を吐き出すように泣いた。

しばらくして気持ちが落ち着いたころ、床に見覚えのあるチラシが落ちていることに気付いた。

「これ、キーボードと一緒に紙袋の中に入ってた…リサイクルショップのチラシだ」

サナはチラシを手に取ると手書きのタイトルを読んだ。

あなたの心の隅に捨てたい夢はありませんか?
ぜひお売りください。リサイクルショップDreamcatcher。
良い夢は良い夢のまま大切に。
悪い夢はうちが買い取って必要な人へ届けます。


「どういう意味?普通のリサイクルショップじゃないの?」

サナは左腕に抱いているキーボードを見た。

「ここにもDreamcatcherのロゴが…」

スマホでDreamcatcherを検索してみた。そんなメーカーもリサイクルショップもなかった。代わりにドリームキャッチャー (装飾品)の概要が出てきた。

テリ・J.アンドリューズ(Terri J. Andrews)によると、『悪夢は網目に引っかかったまま夜明けと共に消え去り、良い夢だけが網目から羽を伝わって降りてきて眠っている人のもとに入る』とされる[1]。 また、『良い夢は網目の中央にある穴を通って眠っている人に運ばれてくるが、悪夢は網目に引っかかったまま夜明けと共に消え去る』とも言う[2]。
ー引用ー
「〝ドリームキャッチャー (装飾品)〝」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』より。
(2021年3月18日更新)URL: http://ja.wikipedia.org/


「Dreamcatcher……。」

サナはリサイクルショップでキーボードを貰ったときのことを思い出した。

見た感じ普通のお店だったよね。店の奥へ行って店長にキーボードを貰って帰った。そういえばハルトも広島でリサイクルショップへ行ったと言っていた。そのときキーボードになってしまったと。

私とハルトには共通点がある。

Dream、夢…私の夢は小説家になること。ハルトの夢も小説家になることだった。私は前向きに夢を見ていた。ハルトは夢を見ることは悪いことだと感じていた。私はショップのダンボールの隙間を通り抜けることができた。ハルトはダンボールが頭上から落ちてきて、そしてキーボードになった。Dreamcatcherに捕まったから?悪い夢は通り抜けられないってこと?

いやいや、そんなバカなこと現実にあるわけない、あるわけがない。
でもハルトは現実にいた。常識では考えられないことが既に起こってる。常識を捨てなきゃ答えが出ないかもしれない。
リサイクルショップはパラレルワールドへの入り口だったとしたら?
そう考えたほうが、辻褄が合う。

サナはアパートを飛び出してリサイクルショップへ向かって走った。雑居ビルの一階にあったはずのショップは美容室になっていた。

「はぁ、はぁ、うそ。お店がない。」

息を整えて扉を開け受付の女性に質問した。

「あの、ここってリサイクルショップでしたよね?」

「リサイクルショップ?うちがここでお店をオープンする前は…呉服屋さんでしたよ。」

「このお店っていつできたんですか?」

「5年前ですけど…なにか?」

「いえ、なんでもないです。すみません、お騒がせして。」

サナは美容室を出た。

「信じられないけど、本当にパラレルワールドだ。今、あのお店は存在しない。リサイクルショップは違う次元にあるのかな。違う次元なら、もう調べる術がない。」

サナはゆっくりと街を歩きながら空を見上げた。ビルの隙間から夕日が見えた。オレンジの空と薄紫の雲が交互に重なっている。日が沈み彩度が少しずつ落ちて全て灰色になってしまった。

「ハルト…」

Dreamcatcherはハルトの悪い夢を捕獲して、その夢をキーボードに入れた。リサイクルする為に。そしてハルトと同じ夢を持つ私にキーボードを渡した。私はハルトと一緒に夢を追いかけた。ハルトが諦めた夢を私は拾って新しい小説を生み出した。そのときハルトの悪い夢はリサイクルされ良い夢に生まれ変わったんだ。だからキーボードから消えてしまった。そんな気がする。

暗くなり街灯の明かりがつき始めた。目の前の信号機の赤が青へ変わる。

「人間のハルトは今もどこかに。この世界にいるって思いたい。そしたら少し希望が持てる。」



4月になり、寺田ハルトの作品は小説投稿サイトで人気が出て書籍化されることになった。そしてサナは正式に5月から作家としてデビューすることが決定した。

桜の花が満開になる頃、サナはハルトとの約束を守るため広島の宮島へ向かった。

宮島に到着してフェリー乗り場から外へ出ると、島は観光客で溢れていた。商店街では団体ツアー客や家族連れ、立ち止まって地図を確認する人、自撮りする人。肩がぶつからないよう注意して歩く。賑やかな商店街を抜けると、海上に立つ朱色の大鳥居が遠くに見えた。更に先へ進むと野生の鹿が親子でのんびりとお昼寝をしている。

瀬戸内海から届く春風はまだ冷たい。サナはリュックから淡いピンク色のストールを出して首に巻いた。

観光案内所で貰った地図を頼りにロープウエー乗り場へ行き、搭乗した。ロープウエーは山頂を目指してぐんぐん上昇する。途中乗り換えて終点に到着すると、そこから徒歩で整備された山道を歩き、弥仙・展望休憩所に到着した。展望台の一番上から瀬戸内海の絶景を眺める。

「綺麗だな…空も海もこんなに広かったんだ。
街も島も小さく見える。ハルトもこの景色を見たのかな。
両手を広げてここから飛び立つ鳥になりたい。会いたいよ、ハルト…。
私が小説家として有名になったら、ハルトは私のこと見つけてくれるかな。」

ポケットからスマホを出して景色を撮ろうとしたとき、スマホのメッセージランプの点滅に気付いた。履歴を見ると1時間前に出版社から着信があったようだ。すぐに折り返しの電話を入れた。

「寺田先生、旅行中にすみません。」

「いえ、大丈夫です。まだ先生じゃないので寺田でいいですよ。」

「わかりました。宮島はいかがですか?」

「とっても癒されます。今、弥仙という山の展望台にいます。」

「満喫されてるようですね。話は変わりますが、寺田さん憧れの作家って宮本セイジでしたよね?」

「はい、そうですけど?」

「その宮本先生とうちの担当者が今日の朝、電話で連載中の小説について相談してたんですけど。話してるうちに、なんと寺田さんの話題になったらしいです。宮本先生は『桜眠る朝に』を読んでらっしゃったみたいで、寺田さんのデビューを大変喜んでましたよって担当者から。よかったですね!」

「え?えっ!!あの宮本セイジ先生が?!私の小説を?!」

あまりに驚いて大きな声を出してしまった。

「で、宮本先生からメッセージをお預かりしてるんです」

「メッセージ?」

「読みますね。作家デビューおめでとうございます。『桜眠る朝に』拝見しました。すばらしい作品ですね。これからも期待してます。以上です。」

「夢みたい…宮本先生からメッセージを頂けるなんて。」

「頑張った人には必ずご褒美があるんです。これから、どんどん本出しましょうね。」

「はい!」

サナがスマホを切ったあと余韻に浸っていると、なにやら視線を感じた。見ると展望台の手すりに背中を向けて立っている男性が、こちらをじっと見ている。

「なんだろう…知り合い?じゃないな」

黒髪で切れ長の目、グレーのフード付きパーカーの上からレトロなカメラをぶら下げている、三十代くらいの男性だった。目が合うと微笑んでこちらに向かって歩いてきた。

「今、僕の名前呼びましたよね?」

「名前?」

「宮本セイジって」

「ああ、作家の宮本セイジさんのことです。」

「それ、僕です」

「えぇぇぇ?!!!」

「初めまして。来月デビューする寺田ハルトさんですよね?出版社の人から宮島にいるって聞きましたけど、まさかこんな所でお会いできるとは」

「は、は、は、はじめまして」

サナは緊張して声がうわずった。

「僕の祖父の家が宮島にあるんです。そこで執筆活動してるんですよ。僕、寺田さんがデビューする日をずっと待ってました。」

「そ、そんな、恐縮です。」

「11年前からあなたを待ってました。僕の本名は戸田ハルトです。」






※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。


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