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わりと簡単にひとはくずれる

わりと簡単に人はくずれる。
そして、簡単に日常がこなせなくなる。


僕は2018年7月ごろに体調を崩して療養のために5週間ほど仕事を休んだ。


原因はうつだった。

正直、僕がうつ病になるとは思っていなかった。メンタルは強い方だと思っていたからだ。
Vにハマる前だったが、東方projectのボーカルアレンジが好きでライブに行き、神社巡りをして汗を流したりもした。
ストレスは発散していると思っていた。

とは言っても、大学生の頃からストレスがかかると蕁麻疹が出ることはあったし、比較的マジメな性格、言われたことを反芻して忘れられないことがよくあったので、何をもってメンタルは強いと思っていたのか今思うと疑問だ。


経緯としては
2016年11月に4年半程いた工事部(現場監督)から、設備部へ異動を言い渡され、8ヶ月の大阪研修ののち東京で4現場(設備工事のみで7億分)の担当していた。

問題は東京支店の同じ部署の上司と僕の2人しかいないのに、仲が悪かったことだ。さらに、余裕がなく構ってもらえなかったことだった。

東京の上司が相手ができないということで、大阪の上司に対応してもらっていたが、聞きなれない関西弁、毎日夜に延々と電話でどこが悪かった、説明がうまくできない、否定され、怒られた。

ここには書かないが他にも僕自身の問題があり、それも大きなストレスになっていた。

17年8月に東京へ戻ったが翌年の3月頃から
微熱が続く、蕁麻疹・湿疹が出まくる、ご飯が食べられない、眠れない、常に吐き気がひどい、気がついたら涙が出てくる、体が思うように動かない、集中できない、仕事が手につかないなど様々な症状に悩まされていた。

6月初めについに身体が動かなくなり1日仕事を休んだ。

そこからは酷かった…


どうにか通っていた職場にたどり着けなくなってしまった。

5月後半にはご飯は食べられなくなっており、睡眠も1日で1,2時間しか取れなくなっていた。
6月中旬頃には電車に乗るが、吐き気がひどく立っていられない、職場の最寄駅まで辿り着けず、途中下車しトイレに駆込み、何も食べてないから胃液を吐くを繰り返していた。


どうにか職場に遅刻して着いたら、見かねた職場のお姉さんに個室に呼ばれて「大丈夫?」と聞かれた瞬間、涙が出てきて「もう無理です」って言ったのを覚えている。

お姉さんに現状を話し、以前から別件で通っていた病院があるので、そこの先生に相談することを約束して帰った。

その日の帰りに病院に行き先生に相談し、診断書(療養、異動の為)と抗うつ剤(1ヶ月くらい飲んでた)をもらった。
職場のお姉さんから部長に話を通してもらい、後日、電車に乗れそうな日に1度会社に行き僕からも部長に相談しとりあえず5週間のお休みが決定した。上司には申し訳ないが、引き継ぎなんてできるような状態じゃなかった。

部長と話をしていた時、よほどやつれていたのか、酷かったみたいで、入院とかしなくて大丈夫なのか…?と心配された。


それから2週間は廃人のようだった。

ゼリーですらお腹を壊し、おかゆ、うどん、カロリーメイトが食べられるようになるのに2週間掛かった。
唐揚げや大好きな炒飯とかが食べられるようになったのはさらに数週間掛かった。

最初の2週間は体が動かせない、漫画も読めない、アニメも見れない、何も作れない状態だった。さらに、眠れないせいで時間が沢山あり、永遠と色々なことを考えてしまったのはしんどかった。
その頃はただただichigoさんの曲を流し続けていた。特に岸田教団のLIVE MY LIFEには救われた。とにかく泣きまくってたのを覚えてる。


睡眠障害も出ていた。眠るのを諦め、眠れる時が夜だと言って、眠れそうなときに寝ていたが1回の睡眠で30分〜1時間くらいしか眠れなかった。それを1日2,3回細切れでどうにか取っていた。
一度に3時間の睡眠を取れるようになったのは職場復帰前後で、以前のように5,6時間睡眠が取れるようになるのに半年以上掛かった。


休養2〜3週目くらいからご飯が食べられるようになり、色々と諦めてがついたのか、身体が軽くなり、動けるようになった。

アニメを流しながら昔好きだったあみぐるみを作り(簡単に編めるものをひたすら編んでた)、さらに動けるようになったらレジンでアクセを作り、時間を潰して何も考えないようにしていた。眠れないから1日20時間くらい作ってた。

5週目は、外に出かけようと思えるようになり、眠れていないのに神社巡りをし、お家に帰ってぶっ倒れる様に寝ることしていた。
7月の炎天下の中、1日12〜15km歩いて疲れているのに眠れても1,2時間の睡眠。体力的に1,2日動いて1,2日動けなくなるを繰り返した。


5週間ちょいの療養を終えて、ビクビクで職場に行った。

1週目の目標は東京支店にたどり着くことだった。

もし、会社に行けなくても会社に行こうとしただけ偉いってくらいの意識でいったら会社にたどり着けた。まぁ、一回途中下車したが…
その日は、会社に行ってちょっと話をして、総務のお姉さんに預けていた仕事用ケータイを受け取り早めに帰った。

1回会社に行けたら、自信がついたみたいで会社には行けるようにはなった。とは言っても体力的には全然もたなくて、すごく簡単な雑用をゆっくりこなすのを1ヶ月くらいしていたと思う。ケータイも出られる様になるのに1ヶ月くらい掛かった。


忙しそうな先輩の手伝いで計画図作ったり、役所提出書類作ったりするようになり、そのままその建築系の事務の部署へ移動することが決定した。本格的な業務に関わったのは10月頃からだったと思う。そして今も、その部署で仕事をしている。

僕は比較的早く復帰できた。意外と会社の対応がよかった。早く復帰できたのは下記のおかげだ。

1. 職場で言える機会があった
総務のお姉さんが声をかけてくれた。これがなかったら、たぶん僕は今ここにいない。

2. ひどくなる前に病院に行けた
5年くらい通ってる病院があって、先生も知っているおかげで抵抗もなく、相談しやすかった。

3. 5週間の療養がすぐに取れた
診断書出す前に休みを取れた。さらに出してから5週間休めた。引き継ぎもなかった。

4. 療養期間中、職場から一切の連絡がなかった
仕事用のケータイをお姉さんに預け、私用のケータイは総務のお姉さんにだけしか知らせてなかった。

5. 復帰後の職場のケアが良かった
原因の部署ではなく、簡単な僕のできる事務作業から復帰させてくれた。体調崩したら早退しても大丈夫だった。


職場の協力のおかげで早めに僕は無事に職場復帰できた。正直、今僕がいる部署の人員を増やそうとしていた良いタイミングだったことと、僕の得意な業務だったから異動の話がトントン拍子で決まったこともある。


とは言っても完全復活までに職場復帰から、更に数ヶ月掛かったし、ちょっとしたことでも一気に沈むことが今でもある。そんな時は、岸田教団のLIVE MY LIFEを聞いたり、ichigoさんの曲を聞いてゆっくりする様にしている。


趣味を楽しめて、仕事に行ける日常に戻ってこれてよかった。1人休んだところで、会社はあんがいどうにかなるし、どうにもならない会社なら辞めてもいいと思う。


人は本当にちょっとしたことで崩れる。
そして日常生活が送れなくなる。

くずれると治るまでに時間がかかる。

無理だなと感じたとき、体が不調をきたしているときは、無理せず休んで欲しい。

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