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ベスト・タイム、ベスト・プレイス

    自分は大学生時代、レンタルビデオ店でアルバイトをしていた。正確な期間は、大学1年生の5月から3年生の11月まで。約2年半の間だ。目的はもちろん社会経験などではなく、単なる小遣い稼ぎである。学生の本分は学業であるとはいうものの、大方の大学生は、費やす時間や賃金の用途はどうあれアルバイトをするものだ。高校生の時分から働いている者もいるが、校外で起こる厄介事を減らすためか、当時生徒にアルバイトを全面許可している高校は周りに多くなかった。現在はそういった傾向が更に強まっているのではないかと推測される。自分の母校にも漏れなくそういった校則があり、表面的には特別な事情のない限りアルバイトをしてはならないことになっていた。中には隠れて働いている者も少なくなかったが、自分の場合はとにかく内申点を活かした進学を考えていたため、リスクは冒さないことにしていた。そういうわけで、人生初のアルバイトは大学入学後、自宅から自転車で15分のレンタルビデオ店で幕を開けた。

    アルバイトの時間はなかなかに充実していた。数ある求人の中からその店を志望した一番の動機は、当時からインドア系のエンターテインメントが好きだったからだ。平たくいえばオタクだったからだ。勤めていた店舗ではDVDやCDはもちろんコミックやゲームソフト/ハードといった商材も扱っていた。その環境は、雑多な日用品や色々な香りのする料理達に囲まれるよりは、よっぽど自分に合っていたのだろう。特にアニメのDVDやコミックを棚に戻している時などは非常に楽しかったし、好きな娯楽を人に届けるという仕事にそれなりのやり甲斐も感じていた。また共に働く仲間は主婦も学生も皆仲が良く、彼らは自分のことも優しく受け入れてくれた。人に恵まれるという経験を自覚したのはそれが初めてだったかもしれない。学生の世界はしばしば学校と家だけで完結してしまうという話があるが、あの店には確かに自分の居場所があったのだと思える。本当にありがたいことだ。

    そんな恵まれた職場において、自分が最も好きだった業務がある。それは店員同士で使っていた用語で言えば「アダのリターン」。誰にでも分かるよう言えば、「アダルトビデオの棚戻し」である。知っての通り、レンタルビデオ店には多くの場合、18歳未満立入禁止のコーナーが存在する。即ちアダルト作品が陳列されている区画だ。出入り口は大抵暖簾で仕切られており、多くの少年達はその向こう側に思いを馳せたり、或いは一瞬だけでも中を覗こうと試みたりするものだ。自分もかつてはそんな純情少年の一人だったわけだが、店員として堂々と出入りする未来は想像していなかった。そう、いざ大人になってみると分かることなのだが、アダルトコーナーは18歳以上であっても足を踏み入れることが躊躇される。もちろん、本人が体面を気にして入りにくいというだけのことだ。しかし出入りしているところを「友達」ではなく「知り合い」に目撃された時、失われる信用というものが少なからずあるのである。だからそんな空間を気ままに歩ける肩書を得たと知った時は、内心感動すらしたものだ。

    「アダのリターン」が好きだった理由は2つある。一つは前述の通り、堂々とアダルトコーナーに入れることそのものだ。暖簾を潜れば四方八方肌色のパッケージに囲まれることになり、その様は正に眼福である。女性の同僚がどう感じていたかは分からないが、少なくとも男性でヘテロセクシュアルの自分にとっては天国のような場所だった。度々興奮に体が反応してしまいそうになっては、後に波紋のそれと知ることになる呼吸を意識し鎮めていたものである。もう一つは、棚戻しの仕事に集中出来ることだ。或いは単に楽であると言い換えてもいい。これは前述の、アダルトコーナーが客に堂々とした振舞をさせない特殊な売り場であることに起因する。紳士達が体面を気にするのは他の客に対してだけでなく、店員に対しても同じなのだ。当時個人的に最も面倒だった業務は、客から在庫の有無などを尋ねられ、それに対応することであった。もちろんそれは客が享受すべきサービスであり、店員が提供すべきそれである。しかし世の紳士達にとり、店員にスター・ウォーズの新作について尋ねることは出来ても、天使もえさんのそれについて尋ねることは憚られるのだ。沈黙。それが正しい答えなのである。だから用のある際はいつもその空間を満喫出来たし、視覚的に遮られていることから多少怠けていても同僚から咎められることがなかった。世にも珍しい”楽しくて楽”が、そこにはあった。

     アルバイトを退職し何の関係もない会社の社員となった現在、レンタルビデオ店のアダルトコーナーに入ることはほとんどなくなった。というより、レンタルビデオ店を訪れる機会自体が大きく減少した。当時から流行り始めていたVODサービスは今や隆盛を誇り、各レンタルビデオ店は苦境に立たされていることと思う。貸出・返却の度にユーザーが店舗まで赴かなければならない、物理的制約が大きなシステムは、現代のニーズにそぐわないのかもしれない。もはやコンテンツの視聴は家の中で完結する時代なのだ。また価格面を見ても、今は月1000円そこそこの定額料金で膨大なコンテンツを視聴出来るVODサービスが多数展開されている。とてもレンタルビデオ店が太刀打ち出来る競争ではないように思える。アメリカのTVドラマが好きで、かつては店舗に通い詰めていた母親も、今はHuluで十分なようだ。かくいう自分も、dアニメストアとAmazon Prime Videoでほとんど事足りてしまっている。今後も店舗まで足を運ぶ機会は減る一方だろう。少なくとも、店員としてレンタルビデオ店のアダルトコーナーに入ることはもう二度とないのだと思う。しかし自分は忘れない。あの場所で過ごしたあの時間を。その時得たであろう何かを。全ての経験が今の、そして未来の自分を形作るのだから。

   ちなみに自分が一番好きなAV作品は、今も昔も葵つかささんの『競泳水着ソープランド』だ。素晴らしい一作となっているので、ぜひチェックしてみてほしい。

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