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1.きっかけはラグビー

1)ラガーマンの母になりたかった

私は地方のまちで生まれ育ち、高校は自宅から少し離れたところにある県立の学校に通っていました。ハンドボール部に所属し、全国的にはマイナースポーツですが、ハンドボール人口の多い県らしく、活動はかなり熱心。テスト期間中と盆暮れ正月以外は毎日練習に明け暮れていました。

そんなハンドボール部のすぐ隣で同じくハードに活動していたのが、ラグビー部でした。ラグビー部は、いいやつばかりでした。通学路や、クラスが一緒のラグビー部の子たちはフォワードが多く、やさしい人柄。また、私たちハンドボール部が、部室前で松脂と砂にまみれた汚い手をクリーナーで必死で落としていると、ラグビー部同士が仲良くわちゃわちゃ群れており、とても微笑ましいものでした。

2年半、暑い日も寒い日も、隣で練習していると、だいたいポジションやルールもわかってきます。練習試合を、ハンド部の練習中に横目で観戦するのも楽しみになってきました。私の同級生の学年は、たしか新人戦で県2位になるようないいチームで、見ごたえがありました。

さらに、学業も優秀な子ぞろい。5月くらいまで部活に励みながらも、旧帝大等にも、どんどん受かっていくので、ラガーマンと言えば、頭よし、人柄よし、文武両道の良いイメージしかなく…

自分に息子が生まれたら、絶対にラグビーをさせようと心に決めていました。

2)息子が生まれて

それから十数年後、男の子の母になりました。幸い私の住む町にはラグビースクールがあり、息子が保育園の年中なった頃、そろそろ体験クラスに行ってみようと考え始めました。

その時、ふと「この子はラグビーに適した体格に成長するのかな?」という疑問が頭をよぎりました。

私に似れば中肉中背ですが、夫は187㎝の手足の細長い高身長。ひょろりとした体型になるならば、親のエゴでラグビーを始めさせても、将来はちょっとしんどいかな、だったら最初からさせない選択肢もあるな…と思ったのです。

息子は3月末の生まれで、1歳の4月に保育園に入園した時は、やっと歩けるくらい。クラスでも一番の赤ちゃんでしたが、その頃、身長がぐんぐん伸びて、クラスのみんなに追いついていました。特に3歳から4歳にかけての年少さんの1年は8cm程身長が伸びており、成長曲線も徐々に平均をはずれ、標準偏差は+2.0に近づいていました。思春期並みの伸び率、ちょっと発育の感じが上の娘とは違うな…と感じ始めていました。

息子が生まれたのはちょうど予定日。きっちり日が変わる頃に兆候があり、夫の帰宅と共に産院に着くと、1時間後には生まれ、夜の23時には就寝できたという非常にきっちりした誕生でした。少々胸囲が厚かったので、最後出るのが大変でしたが、3500g、52cmとちょっと大きめくらいの赤ちゃんでした。生後1ヶ月の時点では5000g越え。がっしりとして、よく飲み、よく食べる子でしたが、成長するに連れ、徐々に細長いシルエットになってきていました。

?と思った決め手は、上履きでした。買ったばかりの上履きの甲のゴムがビロビロに余っているのです。伸びちゃったのかな?と思いきや…違うのです。息子の甲が細すぎるのです。やっぱり何かが違う気がしました。

もしかして「マルファン症候群だったりする?」とその時にふと思いました。

3)マルファン症候群との出会い

「マルファン症候群」という比較的珍しい疾患名を知っていたのには理由があります。

私は鍼灸師(正確には、はり師、きゅう師)の国家資格を持っています。大学卒業後、2年間の会社員生活を経て、昼間はアルバイトをしながら、夜間は専門学校に週6日、3年間通っていました。鍼灸と言えば東洋医学というイメージがあるかもしれませんが、国家試験の科目は多岐にわたっています。

【はり師国家試験科目】医療概論(医学史を除く)、衛生学・公衆衛生学、関係法規、解剖学、生理学、病理学概論、臨床医学総論、臨床医学各論、リハビリテーション医学、東洋医学概論、経絡経穴概論、はり理論及び東洋医学臨床論

たしか臨床医学各論の教科書の「高身長」の項の一部にマルファン症候群があげられていたのです。

その頃、結婚したばかりだったのですが、その身体特性は夫と酷似していました。気になったので、検索をしてみましたが、当時の2000年頃はネットによる情報は今のようには普及しておらず、十分な情報は得ることができませんでした。

夫にも伝えてみると「これまで健康診断を受けたり、風邪をひけば普通に診察も受けたりしてきて、一度も指摘されたことはないよ。違うんじゃないの?」との返事。

私も、一人の鍼灸学生の疑念より医師の診断であろうと思いました。万が一マルファン症候群であったとしても、夫は元気そうだし、背がすらりと伸びるくらいなら、むしろモデル体型でお得くらいではないか、なんとかなるのであろうと安心し、その後すっかり忘れていました。

つづきます