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自分のことを何と呼ぶか問題ータイ語の人称代名詞の多様性ー


 日本の子どもがタイの大人に対して敬語を使わない場面に違和感を感じてしまった話を書きましたが、年長者に対しては常に敬語であるということではなく、親しくなったり、関係性が出来上がっている場合は、くだけた口調を使うことももちろんあります。
 その場合でも上下関係が現れるのが、人称代名詞です。
自分のことをどう表現するかと、相手のことをどう呼ぶかも、相手との関係によって変わります。
 タイ語にも日本語と同じように、人称代名詞が複数あります。「わたし」「あたし」「ぼく」、「あなた」「きみ」「お前」など、日本語でも性別や場面、相手によって使い分けているように、タイ語でもたくさんの言葉があります。

人称代名詞と親族呼称 

また「お兄さん」「お姉さん」「おじさん」「おばさん」といった親族呼称が、一人称、二人称そして三人称に使われることがあります。
 日本語でも、子どもが同級生の保護者を「おじさん」「おばさん」と呼ぶことがありますし、子ども番組のナビゲーターが「お兄さん」「お姉さん」と呼ばれ、また自身のこともそう呼ぶといった使い方がされているので、イメージは似ています。
「○○お姉さん」、「○○おじさん」といった敬称にも、親族呼称が使われるという点も共通しています。

 ただ、威勢のいい年配者が年下の若者に向かって、「そこの兄ちゃん!ちょっと手伝ってくれや」と呼びかけるような光景、日本的にはありそうですが、これはタイにはありません。
 相手が自分より年下の場合は、相手のことを「弟」「妹」または「後輩」にあたるタイ語、「ノーン」と呼び、「兄」「姉」または「先輩」にあたるタイ語「ピー」で自分のことを呼びます。
「そこの弟(相手のこと)、兄さん(自分のこと)を手伝ってよ」
とか、年齢の開きによっては
「息子よ(相手への呼びかけ)、おじさん(自分を指して)を手伝っておくれ」
といった言い方になります。
常に最年少者の立場にあわせる日本の親族呼称とは異なり、
タイの人称代名詞は、相手の呼び方によって、自身を示す言葉も変化するわけです。

人称代名詞の選択は難しい!


 親族呼称による呼びかけは、初対面の相手にも使います。日本語の感覚では、「おばさん」「おじさん」「お兄さん」「お姉さん」といった呼びかけは、親しい関係でのみ使われる印象がありますが、タイ語では接客や店員さんと話すときなど、関係性が築かれない、その場限りの相手との会話にもよく使われるものです。
 英語では「You あなた」「I わたし」にあたるニュートラルな人称代名詞が多用されますが、タイ語の会話ではあまり使いません。
 日本語と同じで、呼び名が定まっている相手との会話には固有名詞を使うことが一般的で、年下の相手を呼ぶ「ノーン」は、呼称として使われる機会は少なくなります。名前のわかる場合は、敬称略の名前(あだ名)で呼ぶほうが、親しみや丁寧さが伝わる表現になるためです。

 相手のことをなんと呼び、自分のことをなんと言うか、これは結構難しい選択です。
 学生の頃は、店員さんや窓口対応の係員さんなど、初対面の人のことは大抵、「ピー(お姉さん、お兄さん)」とよんでいました。「同じ年くらいか、もしかしらたちょっと下かも」という場合も、敬意を払って「ピー(お兄さん、お姉さん)」でカバー。こちらの拙いタイ語のせいで幼く見られるというのもあり、迷ったら下手に出るようにしていたのです。  
 しかし、当然ならがら、自分の年齢が上がってくるにつれ、「ノーン(妹、弟)」と呼ぶほうがむしろ失礼がないだろう、というケースも増えてきました。実際の年齢を推測するのは難しいけれど、迷った時、若く見られて悪くは思わないだろうな、という雰囲気があれば、「ノーン」を選ぶほうが無難という判断も増えました。

女性の一人称の選択はネイティブでも難しい?

人称代名詞のなかでも、女性の一人称選択は特に難しく、ネイティブでも迷うと聞きます。

男性の場合、「ポムผม」という一人称があります。これは名上の人に対しても、友人同士や目下に対しても使える、ニュートラルで便利な表現です。

対して、女性の場合、「ディチャンดิฉัน」「チャンฉัน」「ヌーหนู」
等、丁寧な一人称として使われているものだけでも種類があります。

タイ語を習い始めたとき、教科書的には男性の「ポム」に相当するものとして、女性の一人称には「チャン」が使われていたので、女性である筆者は「チャン」を一人称にして話していました。しかしある時、タイ語が堪能な日本人の先生(男性)から「先生と話すときには、チャンだとくだけすぎ。ディチャンか、もっといえば一番丁寧なヌーを使うべき」と指摘されました。
その先生の説明では、


チャン ≒ あたし
ディチャン ≒ わたし
ヌー ≒ わたくし

に近い印象になるとのことでした。
以来、「ディチャン」をデフォルトにし、教授と話す際には「ヌー」で話すように修正。しかしこれに対し、今度はタイ人の教授から、「自分の年齢を考えなさい。ヌーは赤ちゃん言葉だよ」と笑われたり、タイ人の先輩から、「ディチャンは丁寧すぎて壁を感じる。先輩と話すときは、呼ばれている名前で自分をよんだらいい」と教えてもらったりしてきました。

タイ語の微妙な感覚を日本語のそれに直訳することはできず、体感からつかんでいくしかありません。

また、ある程度の年齢や地位になってくると、へりくだりすぎるとチグハグな印象を与えたり、かまととぶっているように見えたりということもあります。
一度正解を見つけたらそのまま使い続けられるというものではなく、相手との関係や、自身の年齢、ステータスの変化に応じて使い分ける必要があるものなのです。

男性は楽でいいなぁ、と思っております。。。

時々逃げる

 ミドルエイジの女性である筆者は、「迷ったらこれ」というとりあえずの呼び方すら定まらず、自身の一人称に悩み続けているわけですが、最近は
「ラオเรา」 や 「コンニーคนนี้」
という表現に逃げることも。

ラオは、学生時代にわたしが使ったタイ語の教本には一人称としては掲載されておらず、日本語のニュアンスとしては「うち」というような、若者が使う砕けた表現だと当時先生から習いました。しかし最近では常識的な大人も一般的に使っている印象があります。また、実は一人称複数の「我々」「わたしたち」の意味で使われることもあり、その場合は丁寧な言葉使いとしても使われるので、同行者がいるときなどは、「わたし」なのか「わたしたち」なのか、主語をちょっとぼかすような感じで使っています。

コンニーのほうは、「この人」という意味。
自分のことを話しているのに他人事のような、ちょっと変わった言い回しになるので多用、連用することはできませんが、「自分」を前面に出さない、少し控えめな表現として、一時しのぎには使ったりします。

汎用性のある自分に合った表現を見つけたい、とは思いますが、言葉の伝える微細な意味は、時の流れ、社会の移り変わりとともに少しずつ変化していくものでもあります。「これ」と決めて固定してしまわず、常にアップデートをしていきたいもの。

タイ語学習者仲間さん、タイ語ネイティブさん、中年女性の一人称の迷いに、ご助言があればぜひお願いします。


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