宇宙、あるいは、夜の海

 三日ぶりにシャワーを浴びた。脂でネトネトの皮膚と髪の毛を洗い流し、ついでに鼻の角栓ケアもした。体はさっぱりしたが、相変わらず苦しい時間だった。
 私はお風呂が大の苦手で、翌日の予定がなければ入らない日も多々ある。お風呂が苦手なんだよね、と話すと、ほとんどの人が「わかる!」のあとに「気持ちいいけどめんどくさい」「もっと早く入っておけばよかったと思う」と続ける。そのたびに、彼らと自分の間に境界線を感じてしまう。私が入浴後に感じることといえば「やっと作業が終わった!」であり「また明日もこんなことをこなさなきゃいけないのか」という疲労なのだ。私もしずかちゃんのようになりたい。
 浴室という空間も苦手だ。転んだら痛そうだし、見たことのないくらい真っ青な痣ができるかもしれない。逃げ場のない閉塞感があって、壁や天井はただ白いだけ。防水テレビはない。スマホや本を持ち込むのは抵抗がある。世の人々は、なにを考えて入浴しているのだろう。私はといえば、ひたすら自分について考えている。楽しいことを考えていても、無意識がひゅるりと苦しみを呼び戻す。聞きたくなかった言葉がフラッシュバックする。起きてもいないことを妄想して、もしそうなったらぜんぶめちゃくちゃにして死ねばいいんだ、と計画する。泣きながらボディソープを泡立てて、悩みも過去も感情もすべて流れていけばいいのに、と思う。排水溝へ向かって。
 ちなみに、温泉は大好きだ。普段の入浴とは違って苦手意識がないのは、広さと非日常感と賑やかさが理由なのだろう。脱衣所や大浴場は広々としていて開放感があるし、時間帯によっては賑わっていて、自分の思考以外に目を向けることができる。サウナや岩盤浴も、風呂上がりのコーヒー牛乳、マッサージチェアだってある。大浴場で温まったあと露天風呂へ移動したときの、皮膚を撫でる外気の気持ちよさ。薬湯の健康そうなにおい。今からでも遅くないから、実家がスーパー銭湯になってほしい。
 と、いうようなことを言うと、友人は少し考えてから「じゃあさ」と切り出した。
 友人に連れられやってきたのは、駅ビルの中にあるバス用品専門店だった。花、ミント、柑橘、バニラなどが入り混じったにおいが、からだじゅうを巡る。なんだか、空気が色づいて見えた。
「絶対楽しくなると思うんだよね」
 入浴剤で入浴を楽しもう、というのが友人の案だった。色とりどりのアイスのような球体が並ぶ棚の前を、唸ったりはしゃいだりしながら何往復も歩いた。いちごの形の、いちごの匂いのバスボムと、地球を閉じ込めたようなバスボムの二択でかなり悩んだが、今回は後者を選んだ。
 さっそく、その日の晩は湯を張った。入浴剤を入れる前の湯は、当たり前だが透明で、浴槽の底まで見えている。
 入浴剤を入れる瞬間、というのは、なぜか緊張する。えい! と、一思いに投げ込んだ。
 インターギャラクティックという名前であるらしいそれは、みるみるうちに溶け出して、浴室を太陽系へと変えた。においの主張はあまり激しくないが、ミントのような爽やかさな香りが、かすかに漂っている。はじめはピンクと青と黄緑色の層に分かれて色づいていた湯が満遍なく行き渡ると、全体が濃い青一色になった。角度によって、ピンクの偏光ラメがきれいに見える。宇宙、あるいは、夜の海。てのひらでお湯を掬いながら、なるほどこれが楽しいということなのかもしれない、と考えた。はじめて感情を学習したロボットのように。
 入浴を終え、浴槽の栓を抜く。えい! と、一思いに。
 排水溝へ流れていく宇宙を、私はぼうっと眺めていた。いま私の角膜に映る宇宙のことを考えていると、やはり、いつの間にか別のことを考えていた。明日の起床時間や、課題や、終わってしまったかもしれない人間関係のことを。

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