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#116 単純な動機、大輪の華。

単純な動機


はじめての恋人との恋愛経験は、男女ともにその後の人生に教訓と実りを与えてくれる。

とりわけ税所の場合、前者と言わざるを得ないがそれもまた運命の輪に導かれる。

税所は失恋から自身の欠けている断片と向き合うことになった。それは胸の詰まるような苦しい体験ではあったが、同時に大きな活力を与えてくれた。

失恋した相手を見返したいという単純な動機は、その単純さゆえに純度が高い。純度が高ければ、莫大なエネルギーを使用でき、迷わず真っすぐ突き進むことができる。

バネの様に強く圧縮された力は税所を遥か遠くまで運んでくれるに違いない。

「男として一人前になろう。そのためには、なにか一つでも社会に意味のあることを実現しよう」

税所はそう考えた。そうすれば、彼女も振り返ってくれなくても見直してくれるはず。現実的なプランとして起業家になることが最短距離に思えた。

これまで両国高校から早稲田大学と税所は持ち前のガッツで乗り越えてきた。また、自分の果たすべき社会貢献もどことなく理解していた。

しかし、それはまだ税所の眼前には現れてはいなかった。

そのため、大学の授業そっちのけで、国際協力、NGOなど本を通して模索する日々が続いた。

そんなある日のこと、地元の書店で「グラミン銀行を知っていますか」という本に出会う。著者は、秋田大学の坪井ひろみ。

グラミン銀行とは、ムハマド・ユヌス氏が総裁を務めるバングラデシュの銀行のことである。同氏は、その功績からノーベル平和賞を受賞している。

この本に魅せられた税所は、すぐさまアポをとり、著者の住む秋田に向かった。本来であれば、著者に会うことなど叶わぬものだが、税所の熱意と秋田まで足を運ぶというフットワークの軽さにあてられ快諾してくれた。

坪井先生の話を聞き終えた税所は、

「グラミンには絶対なにかある。バングラデシュに行こう」そう考えた。

そして、ひと月後税所はバングラデシュにいた。

坪井先生の事前連絡のおかげで、2週間の滞在中、グラミンの担当者が案内をしてくれ、地方にあるグラミンの支店などにも足を運ぶこともできた。

それでも、税所は「観光客」でしかなく、一緒になにかを行うためのパートナーには到底なれなかった。

帰国後、どうにかしてグラミンにコネクションを作れないか模索した。すると、九州大学がグラミン銀行グループの一つと共同研究を行っていることがわかった。

アシル・アハメッドというベンガル人の先生が、ICTを利用してバングラデシュの農村部に技術革新を起こす取り組みをしていた。

税所は、アシル先生にアポをとり、九州大学まで会いに行った。

アシル先生に会うと、それまでの経緯を話し、グラミン銀行に対する熱い想いを伝えた。アシル先生は、感銘をうけ、一緒になにかをしましょうと言ってくれた。

大輪の華


それから8か月後。

税所は、グラミン・コミュニケーションズの研究ラボに、はじめて日本人コーディネーターとして赴任した。

そこで、アシル先生のもと、日本から20人の大学生をバングラデシュに呼んで、フィールドワークしてもらい、バングラデシュの課題を解決するアイデアを出してもらうプログラムを任された。

真夏のバングラデシュはひどく暑い。彼らは、へとへとになりながら、村の病院や学校、市場などを回った。

税所のチームは学校を中心に回ることにした。校長先生や先生たちに、いまの学校に足りないものや、必要なものは何かを聞いて回った。

すると不思議なことに、口を揃えるように同じ回答が返ってきた。

「理科室とコンピューター、そしてなにより先生が足りない」

どの学校も、6.70人に対して先生が一人しかいないことがわかった。
人数が足りていないので、午前と午後の2部制にして、どうにか回している状況だった。

「この国では4万人も先生が足りない。村の子どもたちは宝物なのに、私たちの力では大学まで行く力をつけてやれない」とある先生は悲しそうに語った。

その日の夜。

税所は月明かりの下、仲間たちと一緒に水浴びをしていた。

「先生が4万人もたりない・・・」

ぽつりと呟く。

税所は、脳裏で先生が増殖できれば良いのにと都合の良いことを考えた。ほら、写真をコピーするように先生をコピーして使いまわす・・・。

あれ、生きてる先生をコピーできなくても、僕が受験勉強で利用した塾の動画のように、先生ではなく授業をコピーすれば、先生はひとりで十分だ。

税所は、自身がDVD授業によって早稲田大学に合格した経験があるので、これでこの国の子どもたちを救うことができると確信した。

すぐさま、仲間にそのことを提案すると

「でもさ、この国の農村には電気がないところも多いし、難しいんじゃないかな」

と、あまりいい反応はなかった。

それでも、税所はこのアイデアに自信があった。そこで、東京に戻った学生チームに協力をしてもらい、アクラスプールにある村にあるグラミンのインターネットセンターと、東京理科大学の実験室をスカイプでつなぎ、プロジェクターで画面を映し出すことにした。

スクリーンに映し出された東京のスタッフたちが子どもたちに手を振っている。
遠く離れた日本とリアルタイムでつながっていることが不思議でならない様子の子どもたちに、巨大なシャボン玉を作る過程を説明し、それを税所が片言のベンガル語で子どもたちに伝えた。

大きなシャボン玉が空を舞うのを見た子供たちは歓声を上げた。

その光景を見た税所は、映像授業はいけると小さく拳をにぎった。

これならこの国の教育に革命をもたらすことができる。画期的なアイデアをユヌス氏本人に伝えたくて仕方がなかった。

ノーベル平和賞を受賞した偉人に、税所はなんとか突撃しプレゼンする機会を伺った。そして、九州大学の研究チームがユヌス博士にプレゼンを行う情報を掴み、アシル先生にお願いして同席させてもらった。

機を待ち、アシル先生に映像授業の提案を伝えた。しかし、アシル先生はおそれ多いと提案をはねのけようとしたが、税所の熱意に根負けし、ユヌス博士に頼んでくれた。

しかし、食事中だったためなのか、ユヌス博士はチキンに夢中で上の空だった。これではまずいと思った税所は、食事が終わるのを待ち、談笑する博士の前に再び向かった。

「ユヌス博士。僕は日本で予備校に通っていました。そこでのすべての授業をDVDで受けました。その学習によって僕は大学に合格したんです。バングラデシュの農村には、4万人の先生が足りないと聞いています。この教育モデルを応用して、教員不足に挑みたいんです!」

ノートパソコンを広げ、2つの映像授業の取り組みを見せながら、必死で想いを伝えた。それをみていたユヌス博士はゆっくりと口を開いた。

「面白いじゃないか!Do it! Do it! Go ahead!(ぜひやってみたまえ)」


ユヌス博士の言葉をうけ、「ドラゴン桜プロジェクト」がスタートした。

そして、このプロジェクトから最高峰ダッカ大学に合格者を出すことができた。
また、全受験者3万6000人のうち、合格者は3600人なのだが、合格した生徒は1276位という素晴らしい成績だった。

最終的に、プロジェクトに参加した3分の2の生徒が、現役で大学への合格を果たした。

このニュースは、バングラデシュの数々の新聞やメディアに取り上げられ、いまなお「ハムチャー村の奇跡」と呼ばれている。

こうして税所篤快は大輪の華を咲かせた。


おわり



最後まで読んでいただきありがとうございます。

参考文献「最高の授業を世界の果てまで届けよう 税所篤快著」

朱夏さん画像を使用させていただきました。

毎週金曜日に1話ずつ記事を書き続けていきますので、よろしくお願いします。
no.116.2022.04.29

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