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#97 経済学は社会に混乱を招くのか ?

2018年にノーベル経済学賞を受賞したイェール大学のウィリアム・ノードハウスの専門分野は、気候変動の経済学である。

ノードハウスは1991年に論文を発表し、気候変動の問題を経済学に取り込んだ。そして、経済学者らしく、炭素税を導入することを提唱し、最適な二酸化炭素削減率を決めるためのモデルを構築しようとした。

だが、問題は高い削減目標を設定すれば経済活動を阻害してしまうため、重要なのはバランスだと彼はいった。

ノーベル経済学賞を受賞したノードハウスによれば、わたしたちは気候変動を心配しすぎるよりも今のまま経済成長を続けた方が良いという。

経済成長によって、世界は豊かになり、豊かさは新しい技術を生む。

それにより、将来世代はより高度な技術を用いて、気候変動に対処できるようになる。経済成長と新技術があれば、現在と同じ水準の自然環境を将来世代のために残しておく必要はない、と彼は主張したのである。

たしかにバランスは重要だ。しかし彼が提唱した二酸化炭素削減率では、地球の平均気温は2100年までに3.5℃も上昇する。

2016年に発行したパリ協定が目指しているのは2100年までの気温上昇を産業革命以前と比較して、2℃未満に抑え込むこととしている。

つまり、彼もしくは彼らは、実質的になにも気象変動対策をしないことが、経済学においては最適解だという意味に聞こえる。

しかしどうだろうか、2℃目標さえ非常に危険であると多くの科学者たちが警鐘をならしている。

にもかかわらずノードハウスのモデルでは、3.5℃も上昇してしまう。

気温が3.5℃も上昇すれば、アフリカやアジアの途上国を中心に壊滅的な被害が及ぶことが予想される。

だが、世界全体のGDP(国内総生産)に対する彼らの寄与は小さい。また、農業にも深刻なダメージを受ける可能性がある。

それでも、農業が世界のGDPに占める割合は4%ほどである。極所においては被害が甚大であろうとも世界全体からみれば大したことはない。

このような発想がノーベル経済学賞を受賞した研究の内実といえる。

ノーベル賞をとるということは環境経済学におけるノードハウスの影響力は甚大である。環境経済学が強調するのは、自然の限界であり、資源の希少性だ。

そして、そこから出てくる最適解はおのずと自然にも社会にとってもWINーWINな解決策になる。

この、経済学的最適解である「WIN-WIN」なアプローチは社会には受け入れやすい。誰も損はしたくはないし功利主義的に最大多数の最大幸福が得られるのであればクレームが出ないためだ。

しかし、代償(リスク)を必要としない賭けには報酬も少ない。

つまり、ノーベル賞を受賞したノードハウスの主張でありアプローチは、リスクは最小限で、効果も最小限ということだ。

ならば、なぜ彼がノーベル経済学賞を受賞したのだろうか。

おそらく現実を直視しなくてはならないが、経済成長を止めることは社会的に損失が大きく社会を構成している人たちにおいては都合が悪い。

しかし、環境保護をうたう活動家や、気象変動を調査する団体など、多くの自然の保全に関わる専門家からの警鐘が強くなれば世論に火が付き収拾がつかなくなる。

そして何より経済を停滞させることなく、自然に一定の配慮を示しているという仕組みが都合が良かったのだろう。

以前にも話したが、SDGsのような試み自体は間違いなく素晴らしい。

だが、そのアプローチで問題の本質が解決されるのではなく、視点がズレるだけで実は何の進歩も発展もない行動だとしたら、はたしてそれは行うだけの価値があるのだろうか。

その活動によって右の人が救われ、左の人が不幸になるのであれば、差し引きゼロであり自己満足でしかない。

だからSDGsのような対策がメディアで盛んに取り上げられるようになった今日でも世界の二酸化炭素排出量が毎年増えているのは不思議ではない。

結果は忖度してはくれない。

また、ノードハウスの主張である「将来世代はより高度な技術を用いて、気候変動に対処できるようになる」というものも、今後間違いなく高度な技術が生まれるだろう。

しかし、それ以上に環境に負荷がかかり、その高度な技術でも解決できないほどの環境変化が起こらない保証もない。

経済学は社会に富をもたらした。

それと同時に経済学は何の根拠もなく占い師のように未来を予想する。

占い師は、当たろうが外れようがわたしたちはそれほどの影響はない。占いは神秘の部類に属され、神聖なものに近いためだ。

一方、経済学が出す答えは、これからの未来をあたかもそれが正しいように社会に流布できる。過去の緻密なデータや、優れた理論、一部の誰かに都合の良い優れた仕組み。

経済学者が過去を分析することは良いことだ。だが、いくら優れた経済学者といえど、世界の未来を的確に予言することはできない。

なぜならこの世界には77億人もの人が存在する。

その一人一人が意志を持ち生きている。

そして地球には数えきれない動植物が存在する。

まずは天気予報が100%当たるようになってから、経済学者は未来を提言するようにして欲しいものだ。

ワトソンとクリックのノーベル賞受賞といい(詳しくは#63・64ズルをしてでもバスへ乗り込め! ノーベル賞編(前後編))、ノーベル賞には政治的な匂いがしてならない。

B・オバマのノーベル平和賞についても核廃絶を彼は世界に訴えたが、任期中または、任期満了になっても核は廃絶されなかった。

何もなしえていないオバマになぜノーベル平和賞は与えられたのだろう。

それならば「ラブアンドピース」を歌ったジョンレノンの方が、ノーベル平和賞に相応しいのではないだろうか。

なんて疑問がわく今日この頃です。

おわり


参考文献「人新世の「資本論」 斎藤幸平著」

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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毎週金曜日に1話ずつ記事を書き続けていきますのでよろしくお願いします。
no.97 2021.12.17


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