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余命宣告、拡散希望

手術をすることになった。
全身麻酔だ。
難しい病気の手術というわけではなくて、ただの鼻詰まりの治療なのだけど、全身麻酔だから戻ってこれずに終わる可能性だってわずかにある。
普段見る景色が、家族が、猫が、これで最後かもしれないと薄っすら思う。

もしもの予感ですら、こうなのだ。
もし本当に余命宣告されたりしたら、どうするだろう。
私は自分が生きた痕跡を遺したい。
創作をする人間として死にたい。
だけど、できるだろうか?
「余命宣告された芸術家」として自分をマーケティングすることが。
きっとそうした方がいいと思う。
100日後に死ぬワニみたいに。
けれどそうしたら、以降、私が作るものには色目が付きまとう。バイアスがかかる。
正常に見てもらうことはできないけれど、私に与えられたキャッチーで絶望的なコピーが、作品に付加価値を与え、多くの人に見てもらえるかもしれない。
悲観が得意な私のことだから、どれだけ評価されても「正常な評価でない」と悲嘆することだろう。

だったら、誰にも言わずにいたほうがいいかもしれない。
そして、いつか自分のためになると思ってやっていた、勉強やダイエットを辞める。
聴く音楽も自分が一番好きなものだけにして、大切に思える相手以外とは連絡を取らない。
刹那刹那を生き切るように生きたい。

楽しいことだけして、嫌なことを辞める。
それは余命宣告されなければできないことだろうか、と思う。
今からでもやればいいじゃないかと。
だけど、今の私にはできない。
働くのだって勉強だって、それほど好きでない人との関係を保持するのも、未来のためだ。
未来に希望があるから。
そう思えば、余命宣告されたかのように刹那的に生きるのは、潔い絶望の現れとも言えるのかもしれない。

ひとつだけ確かなことは、きっと自分は、余命宣告されたとしたら、残された時間で創作をするだろうこと。
遺作を残すためというより、楽しいからだ。
ただ、そうなったら技術を磨く時間がない。
いつか余命宣告されたときのため、今から勉強しておかないといけない。
未来のために。

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