「傷つけない笑い」とか言ってるバカへ。

 最近、というか少し前から「傷つけない笑い」なる言葉が使われるようになりました。そんな事を言っているバカどもにまず言っておきます。

傷つけない笑いなんてない。

 この言い方には少し語弊がありますので、補足的に説明を加えておきます。「傷つけない笑い」という言葉自体は、例えばテレビで少し流行ったようなネタが気に食わないときに「あれは誰かを馬鹿にする笑い」だと貶し、それに引き換え○○は「傷つけない笑い」である、というように、そもそもが他の笑いをおとしめることを前提に使われる言葉なんです。ここでは「自分お笑いわかってます感」を出すときに使われることに対するイラつきは一旦おいておくとしましょう。

 で、そもそも、「傷つけない笑い」があるかどうかに関して、笑いというもの構図が「誰か(もしくは何か)を馬鹿にする」ことでしか生まれないということは忘れてはなりません。わかりやすく言えば、漫才の「ボケ」という存在はまさに「やばいこと言うやつ」であり、ツッコミとともに「ボケ」役を馬鹿にして笑っているわけです。ピン芸人であれば、その芸人自体を「こいつバカだな~」と笑っているわけです。小学生が友達をイジり、それがいじめに繋がるのも、本人達はいじめているのではなく、笑いがエスカレートした結果です。

 つまり、笑いを観る側の人間は、笑いが生まれる以上は「誰かを馬鹿にしている」という構図が存在します。じゃあ、イジメとイジりの違いは何かというと、「馬鹿にされた本人が傷ついているかどうか」ということなんです。どれだけ人を馬鹿にしても、本人が(もしかしたら、観てる周りが)傷ついていなければそれは「笑い」なんです。

 そう考えていくと「傷つけない笑い」の正体は「バカにする対象が芸人自身である」という意味なんです。もちろん、芸人さんはそれが商売である以上、自分が馬鹿にされることで笑いが生まれる限り、「傷ついている」と言うことはできないわけですが、じゃあ、それを観ているお客が「傷つけない笑い」というのに僕は違和感があります。

 だって、笑いの構図は誰かを馬鹿にしていることである以上は、芸人だろうが、他人の悪口だろうが、観てる客は「誰かを馬鹿にすることで笑わせてもらっている」ということに変わりないわけです。それを「芸人を馬鹿にして笑っている」にも関わらず、「傷つけない笑い」と正当化して、自分の笑いがまさに正義であるかのように言うおこがましい言い方に、吐き気を催します。

 結果、「傷つけない笑い」というのは、芸人さん自身が「これは自分をバカにするネタで、他人を馬鹿にしているのではない笑い」という風に使うのが正しいと僕は思います。

 「お客様は神様です」という言葉は、店員が使うものであり、客が「俺は神様だからなんでもありだ」というのはおこがましい。それと似ていると思います。芸人を馬鹿にして笑ってるんだから、それを「傷つけない笑いだから良い」なんて言い草はどうかと。馬鹿にされる部分を芸人さんが負担してくれているだけなのに。

 だからと言って、別に僕は他人の悪口とか、聞いた特定の人が不快に思うようなネタが良いと言っているわけでないというのはわかってもらいたいです。ネタを見て、笑わせてもらってるんだから偉そうにするなって話。

六龍

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