物質と精神の境目とは
毒と薬という相反する概念があるけれど、薬も過ぎれば毒となると言うように、その境界線は曖昧であると感じる今日この頃。所詮、人間が分解できるかできないかという話。テトロドトキシンに悪意はない。
先日インフルエンザにかかった。その際もちろん薬を処方され、朝昼晩と欠かさず飲んでいると流石に身体も楽になってきた。が。特定の成分を取り入れることで楽になれるなんて、なんだか、人間ってただの物質の塊なのだと思わされる。1D-LSDを摂取した時も、意識変容が起こるので何か特別な体験をしたと錯覚しがちだが、ただセロトニンに似ている動きをされているだけの状態に過ぎない。摂取した成分で、私の身体の状態も気持ちもころころ変わる。
存在がただの物質の現象であるならば、私たちの思考は、抱く愛は、一体何であろうか。ニューロンが伝える電気信号の結果?そんな、そんなものであって良いはずがない。自己を、精神を、愛を、化学で説明されたらたまったものではない。
化学で立証された物質の身体をもって、まだ未解明で未知である領域を揺蕩う精神を見つけ出して、大切に可愛がっているのが私たちである。脳みその仕組みなんて一生解明されなくていい。運命とか奇跡とかを信じる隙間が在ること自体が、人を救うのではないか。発展途中のこの世界に生まれてよかった。
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