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サラソフォビア

 海洋恐怖症の魚に会ってみたい。自分を取り囲む世界のすべてが恐怖の対象なのはどんな気持ちなのだろう。もしそんな魚がいたとして、私と会話ができたのなら、この気持ちを吐露することができたのだろうか。

 最初に違和感を覚えたのは、授業中だった。教室の中のざわざわとした音が妙に大きく、不快に感じた。そのざわつきは耳をふさいでも目をつむっても収まることはなかった。隣の席のユカちゃんが心配してくれたけど、その声が大きすぎて耳が壊れるかと思った。
 その不快感は、すぐに頭痛にかわって、そして強烈な吐き気がやってきた。急いで教室を飛び出したら、廊下の照明がいつもの何倍もまぶしくて、目が明けていられなかった。そんな私を心配そうにみんなが取り囲む。ああ、おかしいのは私だけなんだ。

 その日から一月もしないうちに私の世界は曲がっていった。部屋に一人でいても常に視線を感じるようになり、誰かの話声が聞こえてくるようになった。誰かに相談したかったけど、うまくこの状況を表現できる気がしなかった。ものすごい違和感を覚えても、時間が経てばなにがそんなに嫌だったのかがわからなくなってしまうから。自分の見ているものが正常なのか、おかしいのか、その堺がわからなくなっていた。

夜が嫌いになった。ある夜気が付くと、ベッドの下にウサギが巣をつくっていて、私が寝ようとすると飛び跳ねて邪魔をしてきた。それが無性に許せなくて、力いっぱいベッドを殴りつけた。何度も、何度も。
 その音を聞きつけて両親が部屋に入ってきた。なにか怒鳴っているけど、なにを言っているかわからなかった。なによりも先にベッドの下のウサギを始末しなければいけなかった。
 ふいにパパに腕をつかまれ、頬を叩かれた。ママは泣いていた。なんでこんなことをするんだろうと、あたりを見回すと、ボロボロになったベッドが鏡に映っていた。その上に座る私の手にはキッチンにあるはずの果物ナイフが握られていた。いつの間にかベッドの下のウサギはいなくなっていた。
 そんなことが頻繁にあった。両親はもう私のことを諦めているようだった。私はただ助けてほしいだけなのに、まるで違う生き物を見るみたいに私に接した。そのことが苦しくて、両親にこれ以上迷惑をかけないように、この世界から逃げられるように、自分の手首を切った。流れる血の色があまりにも赤黒くて、目がちかちかして、それすら不快だった。そこで記憶は止まっている。
気が付いてからは早かった。パパに病院に連れていかれたかと思うと、入院の手続きが済んでいた。病気になんかかかっていないのにと思う自分と、どこかおかしいんだと思う自分がいて、心の中でそのせめぎあいをしているうちに両親は帰ってしまった。両親に捨てられたんだと思った。

 いま私は海の見える部屋に住んでいる。窓は少ししか開かないけれど、そこから見える海はどこまでも広がっていた。少しの間なら、外の色彩豊かな景色を見ていても平気になった。世界とまた正常に繋がれるようになってきたのだろうか。
 それでも、外に出たいという気持ちにはならなかった。この小さな部屋からみる景色、私の世界はそれだけでいてほしかった。ここから見えない範囲に存在するおぞましい現実を夢想するだけで、吐き気がした。
 ようやく生まれた私と世界の繋がりはその吐き気を消し去るには、まだ脆いものだった。

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