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エレベーターは五階で

 かわった物件を見つけた。都内5階建ての新築マンションで、最寄り駅まで徒歩5分という好条件にもかかわらず、家賃が同地区の格安アパートとそこまで差がなかった。それだけでも十分に珍しいは珍しいのだが、この物件の奇妙な点は別にあった。上層階と下層階の家賃が相場と逆転していた。
 いわゆるタワマンというものをはじめ、物件というものは階数が上がればそれだけ賃料も上がるのが一般的だ。そのはずがそのマンションは、1階から階を追うごとに家賃が1万円ずつ下がっていた。最上階の部屋なんて郊外でアパートを借りるのと相違がないほどだった。

 さっそく仲介業者に赴くと、まぁ、おおかたの予想通り、「告知事項があり」とのことだった。詳しく話を聞くと、仲介業者は頭をぽりぽりと搔きながら、
「ちょっと守っていただきたい決まりがありまして。いや、そんな難しいことではないんですけどね」
と歯切れが悪そうに話しはじめた。
「決まり…」
「エレベーターをね、絶対に1階に放置しないでほしいんですよ。できれば5階に待機した状態にしておくのがベストなんですけど。上の階が安いのは、なんていうかその、手間代というやつですね」

「それってやっぱり飛び降り自殺の件と関係があるんですか?」
わたしがそう聞くと、業者の男は一瞬びっくりしたような顔をしたが、すぐに合点がいったようで、
「ああ、サイトに載ってますもんね。やっぱ調べちゃいますか」
と言った。男の言うサイトとは、各地の事故物件の情報がどこからか収集され、さらにその死因まで知ることのできるサイトのことで、その認知度は、いまや引越しをする際には必ず確認するという人もいるくらいメジャーなものとなっていた。
「ええ、まあ。気になりますから」
「最近はせっかく物件紹介しても、いったん帰ってあのサイトで確認してから決めます、なんてお客さんも増えてますよぉ」
業者はそうぼやきつつ、まあでも、と言うと、いやに明るい声で
「別に飛び降りたフロアに幽霊がでるなんてわけじゃあないんですよ?」
そう言い切った。
「じゃあ、別にこんな決まり守らなくていいじゃないですか」
わたしがそう反論すると、業者はすこしあたりを見回して、ひそひそと話し始めた。
「大家さんがね、嫌がるんですよ」

実はね、亡くなった方っていうのが、大家さんの娘さんでね、最上階の部屋にひとり暮らしの真似事みたいに住まわせてたんですよ。多感な時期だったのかなぁ、自殺の原因とかはわかってないんですけどね、おおかた人間関係がうまくいってないとか、そんなんじゃないかって話ですよ。
 でね、娘さんが亡くなってから、空いた部屋に大家さんが住むようになったんですよ。もともとは別でご自宅があったんですけど、娘のいた空間をそのままにしておきたくなったんでしょうね。それっきりあの部屋に籠りっきりですよ。まあ、旦那さんも早くに亡くして、ほかに身寄りもないなんて話でしたし、マンション管理とかも、ほとんどうちの業者に委託しているんで家から出なくてもやっていけるんでしょうけど。
 でもね、娘さんが亡くなって1か月半くらいしてからかなぁ。急に、エレベーターの待機フロアを五階にするようにしろなんて言ってきたんですよ。いや、そりゃ最初は理由も聞きましたよ。でも、「いいからそういう決まりにしろ、しないと契約を解消する」の一点張りでね、うちとしても優良な案件ではあったんで、エレベーターに影響のある順に家賃を下げますからってことで住人の方には納得していただいたんですよ。

「娘さんを亡くして、すこし心が壊れてしまったんでしょうね」
そう言って業者は、物悲しそうにコーヒーをすすった。たったひとりの肉親を失って、その面影を追うように生きている人に強く出れないというのも理解できる。それに業者の話を聞くに、大家はほとんど家から出ないらしいので、滅多に出会うこともないだろう。
「ここの、5階に、住もうと思います」
わたしがそう言うと、業者は先ほどまでの憐みの表情など噓のように業務的に契約を取りまとめだした。

 いざ引っ越してみると、改めてそのマンションの条件のよさを実感する日々だった。一度だけエレベーターホールから、中年女性の絶叫が聞こえたことがあったが、翌日エレベーター前に「5階ニトメロ!!」という張り紙がされているのを確認して、その絶叫の主に合点がいった。ただ、それ以外は別段これといった心霊的にも、人間的にも問題はなく、あたりの物件だったなと思っていた。
 そんなある日のことだった。ゴミを出しにいった帰り、エレベーターのなかで他の住人と鉢合わせた。その住人はわたしとおなじ5階行のボタンを押したかと思うと、わたしに最近越してきたのかと尋ねてきた。わたしがそうだと言うと、彼女は
「なんで5階にエレベーター止めなきゃいけないか知ってる?」
と聞いてきた。
 わたしが業者から聞いた話をすると、彼女は
「ああ、やっぱそう聞くよね」
と言った。そう聞くよね?含みを持たせる言い方にわたしが食いつくと、彼女は淡々と話し始めた。

 わたしの隣の部屋がさ、今の大家さんの部屋、つまり死んじゃった子の部屋だったのね。って言っても、大家さん、その子が生きてる頃からしょっちゅう部屋に来ててさ、そのときの雰囲気?がなんか娘を大切に思うあまりっていうか、むしろそれが行き過ぎた毒親的な感じがしてたのね。現に大家さんが部屋に来た日は、毎回のように娘さんと大喧嘩しててさ、それこそ物が落ちたり割れたりする音まで聞こえてきてたの。まあ、だからあの日も、あぁいつものかって放置してたんだけどさ。
 なんだかその日の喧嘩はいつもより激しいかなって思い始めたとき、「あっ」て声のあとすぐに、下の方からぐしゃ?べちゃ?って音がしてさ、なんか察しちゃったよね。しばらく、まだ契約残ってんのに最悪だぁ、なんて考えてたら、エレベーターの到着する音が聞こえてさ、うぅぅうって誰かが言ってんの。で、その声が隣まで来たかと思ったら、
「お母さん、お母さん、ごめんなさい、あけて、ごめんなさい」
って声と、ドアノブがちゃがちゃする音が聞こえてきてさ、まじでびっくりしたよね。
 でもね、もっと怖かったのは、そのあとすぐドアの開く音が聞こえたの。ああ、事故だったのかな、なんて思ってたら、そのあとまた、あのぐちゃって音が響いたの。

 だからさ、とその女性は一呼吸おくと、
「あの大家さん、ずっと思い込んでるんだろうね。エレベーターを下に止めてたら、あの子がまた戻ってくるって。それに下にいったらあの子が待ってると思ってるから、家からも出れないんだろうね」
と話を結んだ。わたしはなんと言っていいかわからず、
「なんでその子は他の人に助けを求めなかったんでしょうか」
と絞り出したが、彼女はあっけらかんとした表情で、
「え、きたよ? 助けてください、お願いしますって、フロア中の部屋をノックしてたよ。でも、やだよ。誰だって関わりたくないじゃん」
と言って笑っていた。

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