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醜形恐怖症

 写真が嫌いだ。自分の笑い方が嫌いだ。会う人すべてが自分の顔を馬鹿にしているようで、いつからか人前でマスクが外せなくなった。一年中マスクを着けているので、周囲からは変な目を向けられることもあったけど、この顔を見られるよりはましだった。

 化粧を試みたことはあった。ネットでいろいろ調べることができたし、簡単なものなら自分の手持ちでも買うことができた。最初は苦戦したけど、はじめてビューラーを使ったときは、まるで魔法みたいだった。
 でも、そんな魔法は長くは続かなかった。パパにばれてしまった。私が小学生の時、ママは他の男の人と出て行ってしまっていて、それ以降というもの、パパは私がそういったものに興味を抱くのをすごく嫌っていた。だからこそ、ばれないように、慎重にやっていたはずなのに。その日、私が塾から帰宅するとリビングの机に見覚えのあるメイク道具が並べられていた。パパはただ一言、「捨てなさい」とだけ言って自室に入ってしまった。
 別にパパのことは嫌いじゃなかった。離婚のことはママが悪いし、そんな人との間に生まれた私の面倒をみてくれていることには感謝している。ただ、私は理解者が欲しかった。女性としての私を理解してくれる人が。

 この一件以来、とりあえず高校生のうちのメイクは諦めた。かといって、私のいびつな劣等感がぬぐえたわけでは当然なかった。そんなときだった。Twitterで自撮りをあげている子を見つけた。もちろんこれまでもそういったアカウントは見かけたことがあった。でもたいていは、私にはない美しさと自信を兼ね備えた人ばかりで、単なる羨望の対象に過ぎなかった。そのはずなのに。その子は正直私からみてもかわいいとは言えない容姿だった。年齢も私と同じくらい。それなのに、その子のリプ欄には賞賛の言葉が並んでいた。こんな顔でもみんな褒めてくれるんだ。私の中でなにかが変わる音がした。

 加工アプリの存在は知ってはいた。知ってはいたけど、どこに投稿するわけでもないし、自分には無縁の存在だろうと思っていた。とりあえず聞いたことのあるアプリをダウンロードし、自分の顔を撮影してみる。撮影の瞬間、少し手が震えた。自分でとはいえ、カメラを向けられるのなんて何年ぶりだろう。加工してなお、画面にうつる自分の姿が醜かったら。そう考えただけで吐きそうだった。
 そんな不安はすぐにどこかに消えてしまった。画面のなかの存在が自分とは思えなかった。糸のようだった目は大きくひらかれ、あご周りのぼてっとした肉感も消えていた。最高にかわいい!とは言わないが、この顔でならマスクも外せるのではないかと思えた。

 そこからは早かった。暇さえあれば自撮りのことを考えていた。写真を投稿すればすぐにいいねが貰え、みんなが私を褒めてくれた。たまに気色の悪い性欲を剥き出しにした人からのコンタクトもあったが、そんな人を晒しあげればみんなが私の味方をしてくれた。ここでなら自分を肯定できる、そんな気さえした。新しい魔法を手に入れた気分だった。写真が大好きになった。

 それはたったひとつの言葉だった。魔法はいつか解けるものだ。いつものようにきれいな自分を投稿し、増えていくいいねを見て、悦に浸っていたら、あるコメントが目についた。「左右の目のバランスあってないんですね」。その言葉は私にとって呪いだった。
 すぐに投稿を削除し、新しいものを撮り直す。しかし何度撮り直しても見れば見るほどに自分の顔のバランスが歪んでいるような気がしてくる。さらにはそれ以外の部分も全てが変な気がしてきて、結局その日はなにも投稿できなかった。
 次の日もその呪いはとけることはなかった。どれだけ加工をしても自分の顔が歪さを増していくだけに思えた。でも投稿をやめる選択肢はなかった。私の居場所はそこにしかなかったから。
 歪さを感じながら投稿した写真には昨日に増して針のような言葉が向けられた。「加工のしすぎw」「なんか気持ち悪い」「宇宙人みたいww」。
 もうどうすればいいかわからなかった。スマホを投げ捨て、トイレに駆け込み吐いた。胃の中が空になっても吐き気は止まらなかった。顔を上げた鏡には、涙と胃液でぐしゃぐしゃになった醜い女が立っていた。やっと見つけた私の居場所はなくなっていた。

 自室に籠っていると、パパが入ってきた。泣いている私を見て少し驚いていたけど、深い理由は聞かないでくれた。
 そっと横に座って、「この間はごめん、今度一緒に新しいの買いに行こう。」ボソボソした声でそう言った。その言葉で私はまた涙が止まらなくなった。

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