スキ:食べきること

最近、これが食べたい、という気があまり起きない。これが結構厄介な敵で、雑魚敵だけどこっちの道をひたすら塞いで来るような敵で、困っている。

食べたいものが決まらないと、僕は永遠に街中を歩き回り続ける亡霊になる。自分で料理を作るべきか、ジャンクフードを買うか、コンビニで済ませるか……。それぞれの価格帯は微妙に違うし、その用途も異なる。僕の印象としては以下の感じだ。この序列は上に行くほど心の抵抗が高く、下に行くほど気楽ということを意味する。

高い外食:名前のついた日に

宅配ピザ※

自分で料理※※:人間であることを思い出したい時に

定食屋:がっつり食べたいが費用は抑えたい時に

ラーメン※

弁当屋の弁当:弁当を買って帰るという行為そのものを欲している時に

ジャンクフード※

牛丼屋:安くて暖かいものが食べたい時に

コンビニの弁当:あまり外を歩きたくない時に

新作のカップ麺や冷食:新作が出てしまった時に

スーパーの半額弁当:あまりお金を使いたくない時に

家にある冷凍うどん:食欲がなかったり、胃もたれしている時に

家にある冷食:とにかく食事というものを済ませたい時に

カップ麺:空腹を殺すために

(※は、それが無性に食べたくなる波が押し寄せてくるものであって、こちらは抗えない。また※※の気楽さは、冷蔵庫の内容によって変動する)

という具合に細分化しているが、こんなに書き出したにもかかわらず、自分が今、どの「時」なのかがわからないことがある。実にむごいことだ。何が食べたいかわからずに亡霊化すると、仕事もできず、余暇の時間にもならないので、人生でなるべく遭遇したくない事態だと言える。何より恐ろしいのは、そうやって迷っているうちに時間が経つと、ご飯を食べなければならないという投げやりな思考に囚われてしまうということだ。食べたいものであるはずなのに、食べなければ、という義務感に変わった時、欲求を満たす至福は、ただ人体をメンテする雑事に変わってしまう。

そういう時のために、僕の頭の中には最終兵器が存在する。それが、食べきること、というメソッド。

まず冷蔵庫を開けて中身を確認し、何が余っているかを頭にいれる。日頃から頭に入れておかなきゃいけない情報なのだろうけど、情報には足が生えているのですぐにどこかへ逃げる。あまり物で作れる料理を考える。僕は料理が上手くないので、基本は煮るか焼くかだが。冷蔵庫の中だけでなくて、例えばシーズニングが少し余っているからジャーマンポテトを作ろうとか、そういう高度に政治的判断を下すわけだが、そうやって在庫を使い切った時に得られる喜びは凄まじい。テトリスで四段を一気に消し去ったような爽快さがある。そしてその爽快さを、美味に変換する特殊な回路が、脳か舌のどっちかに備わっているらしい。

長年不思議だった、なぜ母親は残り物を食べたがるのか、という疑問についに答えが降りた。彼女らは皆、脳か舌のどっちかに特殊な回路を持っている。この回路を、残り物回路と名付けることにした。


それじゃあ、みんなの声を聞かせてよ。

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