BAMBOO GIRL 2

 この星から、光が消えた。
 十二月八日。天からの来者が降り立ち、地上に赤い光を放った。抵抗の甲斐もなく、美空光【みそらひかり】はいとも呆気なく星の海へと連れ去られた。
 少年賢木空は、ヒカリのコネクターであり、恋人【ソーラ】でもあった。けれど彼女を失った今、彼にできることは『儀式』をこなすことのみだ。
 今日とて彼は、ビニールマットとゴルフバッグを背負い、家の裏から続く双子山へと登る。バッグのベルトがきつく胸元を縛り、息苦しい。そもそも、一人で持つには多すぎる荷物だった。
 秘密の丘に出ると、落ち着ける場所を探してマットを広げる。三脚の上に鉄の筒を乗せ、しばらく置いてからレンズを覗き込む。
 その瞬間、彼は麻酔を打たれたように、心の中にずっと居座るずきずきした痛みを忘れ、やっと肺の奥まで呼吸を許されるのだ。
 これは契約か、あるいは罰か。そうでないとしたら天体観測はきっと、彼がまともでいるために週に一度行われる、治療だった。
 戦争が終わり、嵐が去ってからもう半年近くが経つ。
「ヒカリ」
 大きすぎるレジャーシートに寝そべって、彼は黒い空を睨んだ。この地球にいてはどこだって、あの大きな彼と同名の宿敵が、付いて回る。
 ヒカリは緑色の髪をした、異星人だ。青汁みたいな色をしているくせに、何故かクリームみたいな甘い香りがした。彼女の抱き締めた時の細い肢体と、ソラの前に立ち塞がって別れも言わずに去った時の表情は、どうしても忘れることができない。
「今頃君はどの、辺りにいるのだろうか」
 肉眼でも観測出来る春の大三角形、その中でも乙女座を構成する一等星、スピカまでの距離は、約二六〇光年。もしもヒカリがそこに居るとして、文字通り光の速さで駆けつけても、二六〇年もかかる。
「僕は毎日」
 そう言いかけて彼はやめた。昨日だって部活の雑務に追われて家に直帰したから、毎日というのは嘘になる。たとえ聞こえていなくとも嘘はつきたくなかった。
「僕は今でもこうして君のことを眺めているけれど、君は僕をまだ見てるかい?」
 そもそも見分けがつくのだろうか。地球に似た惑星なんて、この宇宙にはいくらでもある。
 ヒカリは彼にとっての宇宙そのものだったけれど、ヒカリにとっての彼は、青い球の上にへばりつく小動物に過ぎないのかもしれない。
 教えてくれ、牛飼い座のアルクトゥルス。
 彼は立ち上がって望遠鏡を覗き込むけれど、うしかい座は棍棒みたいな道具を持ってそっぽを向いている。しし座やおおぐま座は正面を向いてすらいない。乙女座に至っては、北に少しずれた所にある、『かみのけ』というマイナーな星座に居場所を奪われて、すすり泣いているように見える。星座たちは全員、彼を励ます気なんて更々なかった。
 けれど星は変わらず美しい。
 ヒカリを奪った宿敵。何度嫌いになろうとしたことか。それでも結局、またこうやって眺めている。
 皮肉なものだ。
 そう思った、その時であった。
 言葉にならず、胸を締め付けられる感覚だけが意識の中で膨張する。彼の持つ丸太みたいな望遠鏡のレンズが捉えたのは、一筋の輝く光の線だった。
「ヒカリ」
 出会った時の衝撃が、頭の中で再び呼吸を始める。
 そうだ、ヒカリは空から落ちて来た。じゃがいもみたいな宇宙船に乗って、この地球へと降り立ったんじゃないか。
 光はみるみる大きくなる。息をするのも忘れてレンズに目を押し付けた。
 ヒカリはさよならを言わずに去った。でも彼女は彼にまた、会えると約束した。二人の鼓動はいつも隣合わせだと、そう言い切った。
「僕はまだ、君のさよならを聞いていない!」
 ソラは望遠鏡をほっぽり出して、両手を空に向けて掲げた。
 また会える。また始まる。
 サイカイだ!
 一瞬大きくなった光はコードを引き抜いた電球のようにふっと消える。
 また何も起こらなかった、六月十四日。

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