第二夜【鬼の子】scene4

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 転校二日目。
 教室へ戻る男子の流れに紛れて、理科の授業をふけっていた火継と、教室まで着替えを取りに行っていた京子はばったり出くわした。
 何かを話しかけようとして硬直する京子を火継は睨みつけたが、無論敵意を感じなかったためか手を上げることはなかった。
 やっとのことで話す内容を見つけた京子が言った。
「あの、火継さん、次の授業、体育なんだけど」
 火継は、幼子の戯れに付き合う大人のような顔つきで京子を見た。
「それがどうした」
「着替え……なきゃ。私の替えのやつ、貸してあげる。大丈夫、洗ったばっかだから。更衣室、一緒に行かない?」
「なぜ着替える」
 火継が言うと、京子はおぼつかない声で答える。
「そういう、決まりだから」
「そうか。アタシには関係ないね」
 歩き去ろうとする火継を、京子の少し震えた声が引き留めた。
「運動、楽しいよ。今日すごい、いい天気だし、久しぶりに。それに、今日ドッジボールだよ」
 丸い眼鏡の下で、潤んだ目が平静を訴える。
「なにさ、それ」
「えっと、ドッジボールっていうのは、二チームに別れて戦うの。あ、もちろん素手じゃなくて。ボールを投げて。相手のチームの人にぶつけると、その人を外野に送れる。外野っていうのはね」
 京子が必死に説明すると、意外にも火継は耳を傾けた。そして最後まで聞き通すと、要するに戦い、戦争だな? と訊いた。
「うん、戦争」
 京子に発言を修正する度胸などなかった。
 すると火継はにやりとして、その体格に似つかわしくない強面の笑みを浮かべて、戦争はキライだが戦争はスキだ! と言い放った。
 それを聞いていた男子たちの半数は、熱狂の声を上げた。彼女の運動神経が、スポーツに発揮される。それはアウトドア派の男子たちには喜ばしいことだった。
 戦争をしに行くにあたり、軍服が必要だとも言った。それがこの体育着だと。
「だったら連れて行け、私を、その更衣室に」
 火継は変わらぬ上から目線だったが、京子は跳ねるように頷いた。


 京子たちが更衣室についた時にはすでに、他の生徒は着替え終わってグラウンドに向かっていた。火継と二人きりになることに一抹の恐怖を感じながらも、京子は更衣室の扉を空けて、なぜだかかしこまって、どうぞ……、と言って火継を招き入れた。
「殊勝だな」
 偉ぶって中に入ると、京子は火継の足下に一滴、血が滴ったのを見た。そして奇しくもその時スカートが翻って、火継の太腿あたりに何かガーゼのようなものが張り付いているのが見えた。
「あの、トコナシさん、ちょっと」
 京子が恐る恐る言った。今にも京子の首をかっ切らんとばかりに、勢いよく火継が振り向いた。
「なにさ」
「いえ、あの、トコナシさんもしかして、怪我、してませんか?」
 敬語が出てしまったことが不覚だった。京子は火継のことを知りたくてたまらなかったが、もし言葉の上でも距離を作れば、実際に彼女が離れてしまうような気がしたからだ。
「怪我?」
「えっと、太ももに……」
 京子は視線をロッカーの一つに逃がしながら、下方を指差した。
「ああ、これか」
 そう言って火継はロッカーにもたれてしゃがみ込むと、足を大の字に開いてスカートをめくって見せた。京子がきゃっ、と高い声を上げる。無地の下着の下にいくつものガーゼが挟まっていて、デリケートゾーン一帯を覆っていた。ガーゼはテープで固定してあったが、その一枚が剥がれて真っ赤な血を太ももにべったりとつけていた。
「これはアタシの命のカウントダウンだ」
 火継が名誉の負傷のようにそう言った。
 京子ははじめ、言葉が出なかった。しかし急激に思考が冷却され、この女の子の孤高の立ち振る舞いと背景とが拙くも結びついた。
「それって、今までに何度、起こったの?」
 念のため京子が、恐る恐る訊ねる。火継は、六度目だ、と答える。どれくらい前から、と京子が続ける。半月前だ、と火継が答える。
 それでわかった。この子は助けを求めるということを知らない。
「火継さん、それは生理よ」
 京子が言った。火継はきょとんとした後、次のように言った。
「これが始まってから、アタシは災難続きだ。アサマのクソどもから追われるし、坂田は連れてかれるし。娑婆に降りてみりゃ、高え建物が立つわ、地面が粗方固められてるわ、食いもんの匂いがそこらじゅうに溢れてるわ」
 京子にとって、火継の発言の多くは解せぬものだったが、ただ、追い詰められているということだけはわかった。
 ヒカリさんと出会った時のソラ君は、こんな気持ちだったのだろうか――京子は束の間、想いを巡らせる。
「アタシはもうじき死ぬのさ。だが、その前にクソ親父に会って、一発殴らないと気が済まねえ。アタシの人生は……」
 生理用品の買い方さえ教わらなかった人生は……、いかなるものだったろう。
「いいえ、死なないわ」
 京子は言った。
「腹の血が股から出てんだぞ? 死ぬだろ」
「死なないったら死なない。私だって出てる。もうドバドバ出るわ。高校生にもなれば、みんな出てるよ」
 京子はしゃがんで、火継に手を差し伸べる。
「ほら、立って。保健室へ行きましょ」
「なんでだよ。戦いに行くんだろ」
「ええ。でもそのために、血を止める秘策があるのよ。保健室には共用ナプキンのストックがあるの。男子には内緒だけどね」
「よくわからねえが、いいさ。連れてきな」
 火継は京子の手に一切触れようとせず、すくっと立ち上がって京子の後に続いた。

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