第二夜【鬼の子】scene12


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 組織から逃げ続けてきた床無火継は、〈明治二十三年合意〉に記名した。不死者を縛り、そして保護するための法だ。
 翌々日、火継は初めて学校に『登校』した。
 宿直室の寝袋は撤去された。
 その朝、壁新聞部が西校舎屋上での出来事を大々的に報じた。浅間機関も、狐顔の男も、やはり何かの妨害策を送り込んでくることはなかった。ソラはその記事を見て、落胆とも興奮ともつかない思いを抱いた。
『燃える髪の転校生
   屋上で炸裂火炎瓶』
 記事によると、転校生こと床無火継は、屋上で風紀部の軍団とタイマンを張ったらしい。そこに希代のお節介、二年の賢木が果敢に割って入った、ということらしい。ソラは左手に何重にも巻かれた包帯を見て、薄ら笑った。
 廊下で見かけた火継はどこか垢抜けていて、髪の枝毛を除かれ、丁寧に切り揃えられ、ポニーテールも綺麗に結われていた。汚い袋は相変わらずだったが、腰に巻いたベルトには、ガイガーカウンターが見当たらない。
「腰回り、すっきりしたね」
 ソラが遠回しにそう言うと、火継はぎろりと目を動かしてソラを捉える。
「イムフェタミンを貰ったからなあ。しばらくは大丈夫さ」
「学校、来ることにしたんだ」
 火継は不思議そうな顔をした。
「アタシは高等教育、受けてねえからなあ」
 八十四歳とは思えない柔軟さだ、と感心しかけたが、そもそも彼女は本当に八十四歳なのだろうか。犬を人間年齢にすると何倍も年寄りになるように、不死者を人間年齢にすると、逆に何倍も幼くなるのでは……。そんなことを漠として考えていると、火継はソラの襟を引っ張って引き寄せる。
「本当はよう、これは訓練なのさ。人間社会に適合するためのな。あのポロシャツの思し召しってわけさ」
「じゃあ、学校じゃなくても」
「ここはプールだからなぁ。まあ仕様がねえさ」
 プールがある、の間違いじゃない? と思った矢先に、ボイスレコーダーをもった生徒二人が現れて、ソラと火継を囲んだ。壁新聞部に情報を売るフリージャーナリストが、最近増えている。
 逃げよう。ソラが言うと、火継もにやりと笑って駆け出した。
 ひとまず、もう火傷の心配はなさそうだ。
 戦争によって引き裂かれた彼女の時間は、今更つなぎ合わせることは不可能かもしれない。でもソラが火継の『ダチ』である限り、浅間機関は手出しができない。
 これでよかったのだろうか。

〈明治二十三年合意〉
 乙者(不老不死者、及び、不老者、及び、遅老者)を対象とした、人権に関する合意。乙者は日本国の乙型戸籍(※ア)に記名し、十年に一回の被監査義務と特別納税義務、および甲者(一般人)が課せられた諸義務を負う代わりに、甲者が日本国に保障された諸権利に加え、『秘匿の自由(※イ)』、および『諦滅の自由(※ウ)』を、これを永久的に保障される。
(※ア)乙型戸籍は甲型戸籍(一般戸籍)と同様に、各市役所によって管理される。市役所員は『秘匿の自由』を尊重し、機密保持が推奨される。
(※イ)健康で文化的な最低限度の生活を送るために、必要ならば、年齢や出生を偽ってよい。
(※ウ)諦滅の際は、籍を置く市役所に届け出た上での自害か、国選介錯人を要求することができる。
 ※特記事項 乙者の状況によって、死刑は終身刑に変更される場合がある。

「遅れてすまん。話、なんか進んでる?」
 京子は呆れたようにセンジを見て、勉強机に載っていたファイルを取った。
「ミステリーサークル」
 ついにこの時が来た、とソラは思った。
 この一週間、ずっと考えてきた。ミステリーサークルを探しに行くべきかどうか。青春の一大イベントたる修学旅行を、わざわざ抜け出してまで。
 でも答えは多分、ずっと前から出ていた。
「私なりに調べたの。まずこれ見て」
 京子は中から数枚の紙を取り出した。
 一番上は先日見たミステリーサークル、その拡大画像だ。写真では昼間に上空から撮影された畑だということはわかったが、何の畑かはわからなかった。拡大してみると、穂のようなものが見える。
「結構細かく見えるもんだね」
「もとの写真の解像度が高かったおかげね。何に見える?」
「そうだな、稲穂みたいだ」
 センジが言うと、京子は眉根を寄せてしばし黙り込んだあと言った。
「私も初めはそう思った。でもね、調べてみると大江山近郊には水田はなかったの」
「一箇所も?」
 ソラが訊くと、京子は深く頷いた。
「それでね、同じイネ科の植物で何かないかなって考えたの。そうしたら」
 小型のノートPCでアース・ビューを開く。宇宙を背景に、自在に操れる地球儀が現れる。地名を入力すると、地球上の何処かへ目掛けてカメラがどんどん寄っていく。やがてカメラは福知山市の名前を捉える。
 最終的には市の中心部から離れ、連山を境に山間部にポツリと孤立している畑のような場所に、検索結果のピンが打たれる。
「穂が見えたのはキビよ」
「キビ、ってあの、キビ餅とかの」
 京子は頷くと、興奮を抑えるように深呼吸して、ピンをクリックした。
 施設のカテゴリーは宿泊施設で、名前は『渡辺神社』と出る。電話番号も住所も記されておらず、あるのは一件の参照事項のみ。
 参照をクリックすると、人間目線で畑の画像が現れる。
 ソラはあっ、と声を上げた。
 空撮とは角度が異なるが、確かに古びた納屋と、ふっくらした鬼の面を付けたカカシが並んでいる。ミステリーサークルがあった場所と、同じ風景だ。
「神社が宿泊施設で、キビを栽培してる……」
「ね、変な話でしょ? 渡辺神社って調べても、それらしい場所は何も出てこないの。まだ発展途上のアプリだし、ただの記名ミスってこともあり得るんだけど」
 京子は尻切れになって、ため息をついた。
 自分の説にどこか自信がないらしい。
 ソラはもう一度アース・ビューを覗き込んだ。鳥瞰モードに戻し、施設名だけでなく場所・地名の表示もオンにする。すると福知山市と渡辺神社を隔てる南北に走る連山の名前が浮かび上がる。
 大江山。
 脳細胞が刺激され、ソラはいつか見たテレビ画面を脳に投影する。
「六チャンの、あさひウォッチ……」
 京子はキョトンとした目が、ソラを捉える。おぼつかないソラの囁きは、やがて確信を帯びた声へと変わっていく。
「ニュースだよ。あれはいつだったか、つい一週間ぐらい前。京都府のどこかで地震があって、大江山付近が立ち入り禁止にされた、って。確かにそう言ってた」
「なにそれ本当?」
 京子の瞳が、映写機にでもなったかのように輝きを漏らす。
 見逃しても良いような違和感でも、積もれば確かな疑念に変わった。
 ミステリーサークル。渡辺神社。街の封鎖。どれもただの偶然かもしれない。しかしソラ確かに、『希望というほうき星』が目の前を通過したような気がした。
「注目ッ!!」
 京子の気合の入ったその一言により、テーブルの上に載っていたジュースはお盆片付けられ、昨日、完成したばかりの『修学旅行のしおり』が広げられる。

1日目
9:00JR藤枝駅集合 9:41掛川着 10:43名古屋着  10:48乗り換え 11:22京都着
11:30〜17:00自由時間 18:00宿で夕食 19:00〜21:00入浴 21:00〜22:00自由時間 22:00消灯
2日目
【中略】

 京子は京都府の全体地図を広げた。
「京都駅がここ。そして、問題の大江山、私たちが目指すべきなのはここよ!」
 人口密集地特有の白と灰のモザイクの中に赤いマーカーが打たれた。京都駅だ。次にかなり日本海側で、山間部のある地点に丸を打った。
 大江山だ。
「京都駅まで行ったら、すぐにグループを抜け出して、十二時十分発の特急きのさき六号・城崎温泉行に乗るわ。それで約88キロを75分行くと……」
 青い油性ペンに持ち替えた京子は、京都駅から山の麓に沿うように、当てずっぽうで道を辿って、ある地点でペンを停止させると、そこに丸を打つ。
「福知山駅に着くわ」
 次に京子は、アース・ビューの立体地図を拡大印刷したものを前に出す。
「福知山駅がここ」
 山間に繁茂した白黒のモザイク。まだ街という趣がある。
「大江山がここで、最寄駅がここ」
 次に示した場所は、隔絶された山奥だった。こうなると村ですらない。それに最寄駅から目的地までは、だいぶ距離がある。
「丹後鉄道宮福線快速大江山八号・宮津行に乗って17キロを28分。そこからは徒歩ね。時間は電車移動だけでも、二時間弱かかる」
 つまり、どれだけ迅速に動いても、往復四時間半を要するということになる。ましてやそこから徒歩で山道を進むとなれば、その日中に戻ることは難しい。
「実質的に、修学旅行には戻れないってことだね」
 ソラが言った。京子がそうなるわ、と覚悟を決めたように何度も頷いた。
「初日に動く理由は? 二日目の朝に移動した方が電車も本数が多いし、捜索する時間も多く取れるはずだ」
 この時は、センジが批評的立場に回った。
「無理ね。二日目は朝食の後すぐ、奈良に移動するバスに乗るのよ。そこから抜け出すのは至難の技だわ。それに奈良に移動してしまえば、自由時間はないわ」
 京子は淀みなく答える。
「だから行動は一日目から起こす! そっちの方が未練も断ち切れるしね」
 京子は言い切った。
 だが、問題はまだある。そもそも、修学旅行を抜け出すなんてことは可能なのだろうか。それを可能にするために必要なピースとは……。
「私たち二人は同じ班よ。そして知恵と渡辺くんを抱き込んであるわ。だからギリギリまで先生たちの目を欺いてくれる。千次の方こそ、大丈夫なのよね」
 今までにない鋭い目でセンジを睨んだ。
「ああ、もちろん。俺は修学旅行を早退し、京都の別荘に行くことになってる」
 そう言って、したり顔で親指を立てるセンジ。
「修学旅行を早退。そんなことできる?」
 慣れない言葉の融合に、ソラは思わず訊き返した。
 センジは首を振って笑った。「別荘も家だろ。大丈夫。名簿の緊急連絡先は、別荘支配人のプライベート番号にしておいたから」
「さすがだね」
 そう言って拳を作ると、センジも同じように拳を作ってぶつける。
「しかし、その後はどうする。いずれ教師たちが捜索しに来るだろ」
「愚問ね」
 センジが訝しげに見る。しかし京子の言葉に迷いはなかった。
「そんなこと今から考えてもしょうがないじゃない。何とかなるわよ」
 そう言ってセンジの言葉をばっさりと断ち切ると、京子は瞳をキラキラさせて、両掌をテーブルに叩きつけた。
「いい? これは私たちの青春を、一度きりの思い出をかけた作戦よ。失敗はできないわ。ミステリーサークルはまだ必ず残ってる。絶対に探し出しましょう」
 京子二人を睨んだ。こういう時、彼女の威厳は増し、姿もどこか大きく見える。
 ソラは、しばし心に一人で籠もった。自分自身に、最終確認をするためだ。
 床無火継。まずその名前が浮かぶ。彼女の孤独に首を、いや手を突っ込んだ。その結果ひどい火傷をして、今はかなり痛む。
 それが正しかったとか、間違っていたとか、そうではないのだ。
 ああするしかなかった。手を差し伸べることで、自分を救うしかなかった。
 つまるところ、ソラは卑しい人間だ。
 そしてやっぱり、ヒカリに会いたい。
 目を開けると、センジと京子が熱っぽい視線をソラに送っていた。
「大丈夫。やろう」
 見果てぬ夢。サイカイの兆し。
「大江山へ行こう」
 たとえそこに、鬼が待とうとも。

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