私がコンサを応援できない理由

ルヴァンカップ決勝。
私が一番喜んでいる。

 クライトン、ダヴィ、ディビッドソン純マーカス、砂川、若かりし西大伍、宮澤、藤田…。北海道で生まれ育った私は、コンサドーレ札幌と日本ハムファイターズを応援していた。当時はまだ「北海道」が付いていなかった。応援を始めた時期は覚えていない。道民だから応援してた。それだけ。
 日韓W杯でサッカーにのめり込んだありきたりな少年の私は、コンサを応援していた。札幌は少し遠かったのでテレビでの応援。けれど当時J2を住処としていた札幌の中継などほとんどなく、地方局の情報番組『イチオシ』で取り上げられるのを毎週楽しみにしていた。

2008年4月2日、
この日まで間違いなく私はコンササポだった。

 春休みということで母に札幌ドームに連れて行ってもらったのが札幌対川崎戦。赤黒のマフラーを首に巻いていた。私がコンサを応援してから初めてのJ1ということもあってワクワクしていた気がする。
 そんな少年の目の前に映ったのは中山元気でも石井謙伍でもなく、中村憲剛だった。彼がジュニーニョと鄭大世の強力2トップをパスで操る姿は衝撃だった。それまでサッカーと言えばコンサ、J2では強かったコンサが目の前で叩きのめされる光景。それは幼い私にリアルを突きつけてきた。本怖よりも怖くてリアルだった。

この試合以来、
東京旅行で等々力競技場を母にせがむようになった。

 そのため2009年以降のコンサをほとんど知らない。J1最速降格を記録したことくらい。『イチオシ』もいつしか見なくなった。
 それでも正直に言って、ここ数年の快進撃は嬉しい。日ハム田中賢介の引退を一目見ようと東京ドームに駆けつけて涙するくらいに心はまだ道民だ。そんな私にとって昨季のコンサのACL争いには胸を打たれた。エレベータークラブと揶揄された時代が懐かしかった。そしてルヴァン決勝進出。嬉しくないわけがない。

だがしかし、
私はコンサを応援しない、
いや応援できない。

 念の為言うが、クラブを応援するのに権利なんかいらない。誰にも縛ることはできない。
 ただ自分で自分を縛ることはある。私はあの日コンサを見捨てた。それが未だに胸を締め付けてくる。良い時だけ喜ぶのはずるい、そう感じてしまう。申し訳ないと思ってしまう。
 私は精一杯川崎フロンターレを応援する。それがきっと北海道コンサドーレ札幌に対する敬意だから。

さあ倒そう。
私にサッカーを、Jリーグを教えてくれた、
世界で2番目に大好きなクラブを。

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