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2024春アニメ最終感想 導線(≠伏線)がない / コンクール至上主義 ユーフォ感想追記

夏ガチアンチ、絶賛ブチギレ中。
夏っぽいコンテンツ全部が憎い状態です。

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今季のラインナップ

『怪異と乙女と神隠し』
『怪獣8号』
『この素晴らしい世界に祝福を!3』
『ダンジョン飯』
『響け!ユーフォニアム3』
『ブルーアーカイブ The Animation』
『忘却バッテリー』
『ゆるキャン△ SEASON 3』

〜感想のルール〜

  • 評価に応じた順位付けをする。

  • 視聴中のモチベーションの多寡を、タイトル横に補足する。

  • 評価の順位とモチベの高低は必ずしも一致しない。上位であっても視聴モチベが低いことがある。逆も然り。

  • 上記3項に則り下位作品ほど感想が多かったり、上位作品がさらっと済まされることもある。

※評価の基準基本、映像重視で評価。作画より演出や画面設計が面白いかどうか。ストーリーに関しては、シナリオの巧さよりキャラクターの動機に沿ったドラマが展開できているかどうかを重視。

〜モチベーションの内実〜

  • 特盛 (本編を繰り返し集中して見た)

  • 大盛 (1回は集中して見た)

  • 並盛 (内容を覚える程度には見た)

  • 小盛 (だらっと流し見した)

  • 虚無盛 (ほぼ見てない)



8位『ゆるキャン△ SEASON 3』モチベ:虚無盛


虚無虚無虚無虚無虚無虚無虚無虚無虚無虚無虚無虚無虚無虚無虚無虚無虚無虚無虚無虚無虚無虚無



7位『怪獣8号』モチベ:虚無盛


虚無だねぇ(中尾彬)。



6位『ブルーアーカイブ The Animation』モチベ:小盛


マジでキャラクターが増えても増えたから何?って感じ。

これやっぱ俺の鑑賞姿勢の問題か?
俺はキャラクターを物語や世界観を構成する一部として見てるから、独立した人格としてキャラクターを面白がるにしても『ブルアカ』はちょっとその他諸々の要素が弱い。

キャラクターを独立した「人格」として見るか、物語を駆動させる「機能」として見るかで、全然物語に対する没入の仕方が違うのかもしれんな。

Twitterの感想とかはほとんどキャラクターを「人格」として見てる節があるから、感想もそのキャラの感情や意思決定に共感できるか否か、みたいなのがフォーカスされがちだけど、俺はまず作品の提示する世界観やコンセプト、最終目的に向かって、このキャラはどう振る舞うのが適切なのか?作劇に貢献しているか?って考えるから、どうも見てる部分が違う気がしている。

なんかめっちゃキャラクターに感情移入して、なんなら親か?友達か?みたいにそのキャラのことを語っている人を見ると、エスパーなんかな?とか思う。

俺は全体通したシナリオ上でも、ミクロなエピソード上でも、この展開ならこのキャラはこう動かしたほうが理に適ってるでしょorこのキャラはこうなんだからこう動くでしょ(故にこう展開するでしょ) って基本考える。

異口同音に「こういうストーリーが見たい」とか「こういうキャラが見たい」と言っても、「人格」派と「機能」派ではその願望に至るまでに経ている過程がだいぶ違うんだろうと思う。
(ネタバレを気にしないのも、そのキャラクターの行く末に一喜一憂することより、描かれた顛末に対してキャラクターの行為が整合しているかが気になるだけだからなのはある)。
逆にギャグ漫画だとキャラの「人格」も大事になってくるから (人格から滲み出る滑稽さがギャグには大事) キャラ重視にはなるが。

で、『ブルアカ』は1シーズン通して世界観もいまいち分からんし、コンセプトもぼんやりしてるし、キャラクターの目的意識も見えてこないし、でもまぁキャラデザはかわいいから視聴モチベは保てる…訳でもない。

マジでこのキヴォトス内での争いってなんで起こってんの?
キャラクターたちが学校に固執する理由って何?
あの学校は結局なんのためにあんの?
先生ってどういう存在?
卒業したからなんなの?
そもそも卒業という概念あんの?
あの世界の人物たちの目的が達成されたら何がどうなるの?
結局、大枠の目標やテーマがよく分からないので、戦おうが、成長しようが、挫折しようが知らんがなって感じです。  

いやーこれでもいまいち違和感を言語化しきれてないなぁ。

なんの話なんだろこれは?っていうか、何が前提にある話なんだろうっていうのがずっと引っかかるんですよね。
日常系っぽいといえばぽいんですよね。大枠の目標が示されておらず、ただキャラクターが存在していてそこで他愛のないやりとりを行う、それが放課後ティータイムか戦争ごっこかの違いでしかないのか?

お話が分からないんじゃなくて、お話になってないものをお話のように見せられているから起こる違和感なのか?

例えば 『進撃の巨人』って、なぜ巨人は人類を襲ってくるのか?そもそもあの壁はなんで存在するのか?みたいな、あの世界の前提に対する疑問を、ちゃんと劇中でキャラクターと共有できるわけですが、この『ブルアカ』は視聴者が謎に感じる部分にキャラクターが一切触れないし、別にその謎が今後の展開を示唆するものもでもなさそうなのがすごいモヤモヤする。

伏線が云々とかそういうことを言いたい訳ではなく、導線が敷かれてなくね?ってことです。
伏線ってのは事態がある程度進んだ後になってわかるもんで、これは伏線だなって分かるような要素ってそもそも伏線じゃない。先の展開を示唆する要素っていうのはまんま物語を読解する足掛かりなんだがら「導線」と言った方が良い。

あの頭の輪っかも、銃撃で死なない身体も、獣人も、先生も、なんかよう分からん軍事企業も、あの世界で起こる利害衝突は誰にとってのどのような利益を巡って行われてるのか?それらにまつわる前提がまったく見えてこない。読み解こうにもそもそも読めるものが示されていない。

「知らない漫画の二次創作」ってこのアニメ『ブルアカ』のことでは?
あまりにも明文化されてない部分が多すぎるし、明文化されてない部分を類推できる要素も少ない。マジでどの話も前話を見損ねたか?って気分になるんよな。でも前話見たところで全然文脈見えてこないし。

マジでみんなどうやってこの世界観を受け入れてどういうストーリーを追ってるんだ?俺が頭悪いんか?

ブルアカ  ストーリー 意味不明 とか、ブルアカ ストーリー 概要 とかで検索するんですけど、なんかネタバレに配慮してかふんわりとした言及しか引っかからねぇんだよな。
透き通る世界観とか青春物語とか、だーかーらー、その世界観の部分を、物語の部分の前提となる情報をよこしてくれよ。俺、こういう過度なネタバレ配慮の風潮好きじゃねぇや。先の展開 (5W1H) がバレたくらいで毀損されるような面白さはそもそも大したもんじゃないよ。

うーん分からない。
ちょっとゲームのシナリオ部分だけYouTubeとかで履修した方がいいか?
でもテキストベースなのだるいんよなぁ。

伊藤計劃さん、これって「理由という名の病」なんでしょうか?



あとやっぱ相変わらず戦闘シーンに緊張感ないんよ…。突っ立ってんなって。開けたところで一箇所に固まんなって。
緊張感ないならないでそういうギャグにして欲しいけど、画面内では至って真剣な雰囲気だから笑っていいのか分からん (笑っちゃってるけど)。

最近、魔人ブウ編を読み返したんですけど、ゴテンクスvsブウのバトルって緊張感のかけらもないのにめちゃくちゃ面白いんですよね。
ゴテンクスのクソガキムーブが、下手するとさっさととどめさせや!ってガチギレしそうなところを、このクソガキが(笑)っていう呆れ笑いに収めるラインに絶妙に仕立ててあって、鳥山明すげぇやってなりました。あとちびトランクスと悟天がシンプルにかわいい。あ、悟飯のイキリムーブはマジでゴミです。あいつセル編から何も学んでねぇ。ウスノロはお前や。

うーんこれ2期あっても見るか微妙だなぁ。



5位『この素晴らしい世界に祝福を!3』モチベ:小盛


ダクネスがえっちでよかったです (1行日記)。



4位『怪異と乙女と神隠し』モチベ:小盛


猫のエピソードはきっちりやってほしかったなぁ。
尺が合わなかったのなら、別のオリジナル話をやってほしかった。



3位『響け!ユーフォニアム3』モチベ:並盛


やっぱコンクール至上主義は良くないンゴねぇ。


滝先生やっぱ指導者として未熟では?
久美子が中間管理職として奔走してるのどう見ても部長の仕事じゃないと思うんやが。顧問は部員のメンタル管理も完璧にするべきとはいわんが、少なくとも求心力の低下がトラブルを招いてるって分からんのかな?
はじめから選抜基準に関しては、こういう方針です、こういう理由です、文句があるなら私にどうぞでええやん。優子は言われんでも突っ込んできたわけやが。
なぜ1期と同じ問題でつまづいてんだよ。

演奏シーンが無さすぎるのさすがにダメでしょ。
練習シーンはまぁいいとして、関西大会を端折ったのはいただけない。
それまで基本部内政治しか見せられてませんからね、こっちは。素朴な視聴者感情としては、合間合間にカタルシスが欲しい。最終話の演奏も全然楽器弾いてるとこ映さんし、まぁ不完全燃焼です。
まぁ多分原作読んでる方には個々のキャラに対しての思い入れがあるから、色々と補完が効くんでしょうけど、こっちはあくまで「アニメ」を見てるつもりなので。

やっぱこういうキャラに感情移入しないと楽しめない系は苦手だわ。

黒江真由のぽっと出感が永遠に消えなかった。
黒江真由って定期的に久美子とその他部員をイラつかせるだけだから、大した交流もなく和解パート挟まれてドラマにされても全体の流れに組まれてるようには全然見えない。
というか、黒江真由に限らず3期は散発的な個別のエピソード同士が全然結びついてなくて、「実力主義」っていうテーゼを相対化するようなそぶりもなく、単に部内のコンセンサスが取れてないという当たり前のことで衝突が起こり、いやいやこれ実力主義の話なんで!!って感じで有耶無耶になっていく。

やっぱ1期・2期は基本的に傍観者の久美子が一歩踏み込む相手として、麗奈やあすかパイセンがいて、久美子対〇〇の構図に伴う緊張感がドラマを作ってたわけですけど、3期の久美子って周りの変化に振り回されてる以上のドラマないよね。かつてオーディションで蹴落とされた中瀬古さんと同じ立場になって、でもそれを受け入れる=実力主義の継承って話にしたかったんでしょうけど、部の党是がグラッグラなところ見せられると、人心掌握を失敗すると組織はこうなりますという教習動画を見てるみたいな気分になる。


ここからはアニメ本編とはあんま関係なく、音楽それ自体の話になるんだけど、やっぱコンクール至上主義って音楽の本懐からズレてる気がするわ。

いや、こういう切磋琢磨する競争自体を否定するつもりはないが、全国金目指すぞ!!みたいなそういうのはプロ目指すことを前提とした子がやればいいだけで、音楽教育の現場でこんな競技じみたことをさせるのは音楽嫌いを増やしかねんのでは?
なんぼ「音を楽しむと書いて音楽!上手い下手は二の次だよ!」みたいなこと言っても、競技の世界に足を踏み入れれば、そりゃ人間ですから、勝ったら嬉しいし、負けたら悔しいんよね。それが審査員とかいう、コンクールという特殊空間の中でしか発生しない権威による評価だとしてもよ。
そもそも部活内でもポジション争いをさせるわけじゃん?どんだけ競争させんのよ。

逆に商業シーンでの競争については肯定しますよ、俺は。
ちゃんと品質は担保してくれんと困る。商業音楽の世界はミュージシャン⇆リスナーでもあり、売る側⇆買う側っていう取引の関係でしっかり利益が発生してるもん。そら客としては良いもん作って欲しいし?ミュージシャン側だってうまくいけば一攫千金ですよ。
しかもコンクールの審査員じゃなくて、一般のリスナーや企業に価値を提供できるかが勝負じゃないですか。競争の仕方もやりようがいっぱいあるでしょ。
最近じゃあダイレクトにミュージシャンに支援ができる時代でもあるわけだから (ボカロPの方とかはFANBOXとかやってますよね)、太客、信者、なんでも捕まえてとにかく生き残ったらいい。
まぁ実際にそれを達成するのがめっちゃ難しいってのは一旦置いといて単純な構造の話としてよ。

でも「学校教育における音楽」で競争させて子供達は何が得られるん?
勝者には達成感、敗者には敗北感、で?それがお金に変えられない価値ってやつですか?学校でしか得られない貴重な経験ってやつですか?
貴重な3年間をかけて「吹奏楽」が、もしかしたら音楽自体が嫌いになっちゃったら不毛じゃない。まぁそういう経験もしといて損はないってこともあるでしょうけど。

負けた子は言わずもがな、勝ち残った子にしたって同じ部活の仲間を蹴落としてそのポジションに座る訳でさ、よほど図太い神経してないと心にしこりは残るよ?そういう話も『ユーフォ』はしてきた訳ですが。

俺は高校で、吹奏楽部じゃなくてフォークソング部でバンドをやってたんですけど、校外のイベントや文化祭であったとしても、出演枠をめぐっての部内オーディションはあったんですよ。
俺は他のグループを蹴落としてもしれっとしてましたが、やっぱ落ちた子らの間でいざこざはありましたよ。俺は勝ち残ったことに特に後ろめたさはなく、いざこざに巻き込まれてうんざりしてくらいですが (ちな『ユーフォ』の子らと違って落ちるやつは大して練習してなかったからってのもある。フツーにサボってるからそら落ちるわなと)。

ちょいとここで、俺が音楽について色々考え直す際の参考にしてる人を紹介。

音楽教育学の観点で今日の音楽教育の抱える問題を語られている長谷川氏の動画なんですけど、こちらで言ってる内容はコンクールが抱える問題点についてかなり参考になります。

長谷川氏の言うコンクールの問題点を僭越ながら要約すると


まず本来競技ではない音楽を競技化して、その競争へと子供達を扇動しているのに、そういった特殊性を子供達に説明していない。

また、審査基準が再現芸術 (作曲者=楽譜に記述された意図の再現) としての完成度に限定されているが、大半の子供達に楽譜の意図を読み取ることは困難であり、したがってその営為は指揮者・指導者の読解力に完全に依存しており、子供達の主体的な意思決定の領域は限りなく少なく、結果として指揮者・指導者コンクールになってしまっている。

もっと特殊な点として、取り扱われる音楽ジャンルが西洋のクラシック音楽に限定されており、数多ある音楽の一つでしかないクラシックにおける「良さ」や「美しさ」を、もっと広範な意味で「音楽」を捉えているかもしれない子供達に目指すべきものだとしている。


この問題点を踏まえて長谷川氏は、(コンクールを目指す) 吹奏楽部は「競技音楽部」と名前を変更して、音楽の中でも特殊なことをやる部活なのだということをあらかじめ明示し、その前提の上で子供達に入部をするかどうかを選択させてはどうか?という提案をされている。

俺も概ね同意です。


あと、これはコンクールへのというより、俺自身への戒めなんですけど、俺が付け焼き刃に覚えているいわゆる「音楽理論」って、バークリー音楽大学が提唱してる理論がベースにはあるんですが、クラシックの機能和声とかもつまみ食いに覚えてるせいで、色々ごちゃ混ぜに考えてた節がある。でも、ドミナントの扱いとかクラシックとジャズじゃ全然違うし、ブルースはトニックだろうがセブンスコードだし。その辺の統合を取らないままにしていた。そして、よくよく省みると俺は西洋由来の調性音楽を「美しい」と感じる文化的コードを後天的に身につけてしまっている。

リズム・メロディー・ハーモニー、ピッチを揃える、縦を合わせる、そんなお作法など最初からない音楽は世界にごまんとあるのに、「音楽」と口にするときに無意識に「西洋音楽」のお作法を前提に考えてしまっている。これは結果的に「音楽」の捉え方をかなり偏狭なものにしてしまう。

HIP-HOP (ラップ) を聴けばそこに音階や和声の制約などない。ガムランの揺れるピッチ、雅楽の旋律、なんでもいいけど、西洋の文化コードとは違う「音楽」(と呼ばれる現象) があるということを俺は知っているはずなのに、主に押井映画の劇伴で (川井憲次、やはり川井憲次なのか!?)。
そもそも俺の大好きなロック。こいつぁブルースを起源にもつわけだから、西洋音楽のお作法とは全然違う。プログレとかオルタナとか、ブルースの影響が薄れていったロックになってくるとまた話は変わってくるけれど…。

いろんな音楽の「いろんな」の部分を、西洋音楽由来のものに限定してしまっては、音楽の価値判断 (良し悪しの見極め) が西洋音楽"だけ'の価値観に閉じこもってしまう。


追記

俺はこの記事↑の中で、義務教育の音楽の時間に音楽理論を教えたらいんじゃね?って、言ってたんですけど、その「理論」ってバチバチに西洋音楽の規範をスタンダードにしちゃってました。いや~、これはマジで反省です。

むしろ知識云々は後回しにして、GarageBandとかの作曲ソフトを触らして遊ばせたりしたほうが全然良い。リズムトラックを自動生成する機能でいろんなパターンを作れるし、コードも指1本で鳴らせたりするんだから、そういうので音楽を「作る」体験をさせたほうが、音楽への興味も湧くだろうし、音楽へのハードルもぐっと下がる。
そっから楽器やりたいとかにつながったら万々歳。作曲ソフトをもっと使えるようになりたいとか思ってくれたら大成功。

あとこういうサイト使うとか。

追記終わり


話がめちゃ逸れた。

とにかく『響け!ユーフォニアム』もこれで一区切りついたわけですから、あとはスピンオフとかを映画でやったりする路線でしょう。それまでには原作も読み終えておきたいところです。



2位『忘却バッテリー』モチベ:特盛


千早回からコンテもレイアウトも一気に毛色が変わって、多分混乱した人もいるとは思うんですが、俺はめちゃくちゃ良かったと思います。

グラウンド上で起こる読み合いにおいて、内野、外野、それぞれのポジションの動作ひとつひとつを、3Dレイアウトの強みを活かした立体的なカメラワーク、位置関係の変化で、ダイナミックに描き出す手つきが大変素晴らしかった。

とちった球をフォローしにいくモブ顔先輩の足元にローポジで寄ってから、ぐわっと空間が開いて送球するときの開放感と、その球を受けた千早がアホモード要にこの対処は無理と判断して送球を止めるときのやるせなさの対比が良い。
急ごしらえチームの守備の不完全さは凄腕の経験者でもカバーしきれない、というシビアさがぐっと印象付けられる。

ここから
ここの切り替えかっこいい
キャラの画面占有率のダイナミックな変化が躍動感に貢献している


無慈悲なホームインを、足元どアップのショットで焼き付けて…
からの既に3塁を蹴るランナー


千早の諦め
そしてこの棒立ちである


ちょっと最後の方は盛り上がりには欠けてる印象でしたが、続きはもう面白くしかならんので、この調子で2期いっちゃってください。
あー、帝徳戦はよ見てぇ!!!



1位『ダンジョン飯』モチベ:特盛


やっぱりね、最近のアニメもちゃんと面白いってことを言っていくべきだと思います。

俺の個人的な体感ですけど、最近は『ダンジョン飯』のような「話題作」ポジションが順当に面白い (元々原作が人気だった場合も、アニメ化で人気になったという場合も込みで)。

エンターテイメントとしての「軽さ」と、テーマの追求を両立した、まさしく盤石な「商業アニメ」。

昔はこういう整ったアニメを、「万人受け狙いやがって」と忌避していたものの、よくよく見ると斬新な表現や示唆に富んだ演出を、はっきりそうと悟らせないように溶かし込んで、建付けは誰でも楽しめる気易い仕上がりにしてるってだけなんですよね。

むしろニッチを狙いに行ってるようなアニメを、あざといと感じるようになってしまった。

原作の巻数的にも、2期でスッキリ終わってくれそうだしめっちゃ期待してます。
できれば終盤エピソードは劇場版で、みたいな感じにはならんでくれぇ。

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