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オマージュ:愛香(三十三歳)

私が潤一に会ったのは、木造アパートの前だった。

見通しの悪い交差点というのは、ドライバー側の意見であって、その木造アパートを眺めるには、最適の交差点だった。

停止線で止まり、右から来る車を確認するように、私は、アパートを隅々まで観察する。曇りガラス越しでも見える生活。私が一生、関わることのない人達。ハンドルにもたれかかって、私は顔も知らない住人達にあいさつをする。私は、ここにいます。こんにちは、さようなら。

突然、青いかたまりが、金木犀の影から出てきて外階段を上り始めたので、私は慌てて目をそらす。

それが、潤一だった。

後続車のクラクションは、彼にも聞こえているはずなのに、彼は振り向かず、ただ、不自然な格好で足を持ち上げながら、階段を上り続けていた。

どの部屋も、家庭が見えても、男の一人暮らしを想像することはなかった。
西日が強くあたる。殺風景な畳の上に敷かれた布団。彼は、あの青いフリースを脱いで横たわるのだろうか。青いフリースは無造作にカーテンレールに干されている。その隣で、膝をかかえて座る裸の自分を想像したところで、私は、プレゼンの結語を反復することにした。

なれない道を走るのは嫌いだ。帰り道も同じ道を選んだのは、今になって、ただの気まぐれだったと思う。そのアパートの前を通った時も、金木犀の枝ぶりに関心こそしたが、夕飯を作るか買うかの方が脳内の話題を占めていた。青いかたまりが、視界に入るまでは。

私は慌ててブレーキをかけた。徐行すれば、すれ違えたのに。私は車を止めてしまった。

彼が顔をあげる。一瞬、困ったようにも見えたが、腰をかがめて近づいてくると、にかっと笑って、手招きをする。仕方なく、窓を下げると
「すぐ、そこだから」
といって、助手席に乗り込んでくる。

「あなた、何なの」

「潤一」

名前を聞いたわけではなかった。けれども、青いかたまりが、名前をもった。そして、男になった。私は、彼が行き先を告げていないことに気づくまで、ただ、まっすぐに車を走らせていく。

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