1クール目、急遽終了。
このNoteを書いている3月3日(金)に、急遽一時退院となりました。
次回の入院は3月7日(火)、抗がん剤は翌日の3月8日(水)からになるそうです。
で、結局退院は出来なかったという話です。
▼ 今回の退院
無菌室を出る基準が、私の病院では白血球1,500、好中球500という値です。
これは一般人では感染症等には非常に弱い状態です。常人の半分程度と理解してもらえればと思います。
3月3日(金)の朝の採血では白血球1,510、好中球510というギリギリのラインで無事に無菌室を退出できることになりました。
ここから従来であれば、大部屋にて体力回復等に数日努め、その後1週間程度の一時退院を経て次のクールという治療スケジュールでした。
しかし今回は、大部屋での体力回復期間も1週間の退院も3日程度に短縮されての治療復帰となりました。
理由としては
という理由から、カットできる時間がカットされたという印象です。
▼多くの都合
急な退院要請に、正直驚きました。
血球の値が回復して、その日に無菌室を出る…というのは過去にもありましたが、そのまま退院というのは私の中では初めてでした。
家族に連絡をしながら、急いでとりあえず無菌室を移動…。
そのバタバタの最中で、しっかりと具合を悪くしてしまいました。かなり気をつけて生活をしていた分、急な展開に体も頭も付いていかなかった様な感覚です。
結局大部屋に空きがなく、有料ブースなら空きがあるとのことで、退院は次の日である3月4日(土)へと変更をしてもらいました。
『退院』については、病院の都合もあるとは思います。
数日の退院であっても、荷物は全て持ち帰るのでそれなりに大変です。
もちろん盗難や紛失の責任が病院の方で負えないということもあるかとは思います。
そして、クールの経過は必ず一時退院を挟みます。この仕切り直しは健康保険の制度も関わっている模様ですが、詳細を調べ切っていないので『らしい』という程度に留めておきます。
結果的に退院は伸びましたが、ぐったりして退院するぐらいなら…と割り切って受け止めています。
夜になり、だいぶ回復したのでこのNoteを書いています。
▼ 人は数字で判断される
今、元気かといわれると微妙です。数値上は回復していますが、体力的にはダルさがぼちぼちあります。
無菌室を出るのは理解(もっと使う必要のある人がいる)ですが、そのまままだ完全ではない人間を病院外…というのは?と、正直思っています。
これが普通なのかもしれませんが、医療における人の判断基準は主観ではなくデータによるものであるのならば仕方のないことなのかもしれません。
本音としては、まだまだ体力的にも血球的にも退院は不安です。この気持ちは事実です。
一方で退院が嬉しいことも事実です。今回の入院は延べ25日でしたので、想定よりも3日早く帰れることになりました。
ただ、想定していた体力の回復や退院してからの家族の時間が切り詰められた結果となったことは事実です。
次回以降はこのイメージをする必要がありそうです。
▼抗がん剤の効果
患部の張りというか違和感の再発については、やはり悪性リンパ腫の残存が活動している模様です。
一度の抗がん剤では大人しくならなかった…ということなのだと思います。
抗がん剤の効果は様々で、一度目でしっかり効く場合もあれば、徐々に効果が効く場合、だんだん効かなくなる場合、最初から効かない場合と様々です。
グラフにするとこんな感じでしょうか?
※入院時の癌細胞を100として
人によって、病気によって抗がん剤の効き目はまちまちですので、そのあたりの理解は必要かと思います。
④の場合は、直ぐに薬の変更がされるはずです。私はおそらく②であってほしい(③にならないで…)という感情でいます。
肌の状態から①とはならなかった様ですので…。
患部の写真は撮り貯めていますが、質感や弾力性等の変化は写真では分かりにくいので割愛します。
以前の掲載と、ほとんど同じ状態というイメージでよろしいかと思います。
この状態が2度目の抗がん剤でどのようになるか…変化があれば記録としてこちらにも残そうかと思います。
▼さいごに
退院は嬉しいです。
もうすぐ三歳の息子もいよいよ「パパはどこにいるの…?」と部屋で私を探すようになったと妻から報告がありました。
…胸が締め付けられる思いです。
数日でも帰れるのは嬉しい一方で、一時帰宅も叶わずに闘病されていることもたくさんいることが現実です。
自分は恵まれているのだという感謝と、命の大切さを噛みしめながら退院の時間を過ごしたいと思います。