「日記」Zippoライター、復活しました!

お騒がせいたしました。相棒のZippoライター、復活いたしました…!!

回す時の音が、もう全然違う…!この手に馴染む感じ、そして音、一服が大変美味いっ(噛み締めてる)

やはり綿の詰め方に問題があったらしい。奥の詰まりがあれで、少なすぎた。
芯に巻き付ける感じをより意識し、もう手術するがごとく慎重に詰め直しつつ、オイルを入れつつ、……奇麗に詰め直したところ調子抜群に生まれ変わりました!

親父の末期癌の闘病を手伝って一緒にがんばってた時、彼からはじめてもらったのがこのライターだった。

彼は相変わらずのしかめ面で「たぶん使えると思う」と言って、古いフリントやら芯やらコットンをがさごそ探し出し、それをセットして詰めていくのを、私はそばでじっと見ていた。

火が付いたのを見せられた時の感動は、今でも覚えている。これからメンテがんばれよと言われ、奴は火の付け方も色々と披露した。私にはうまくできなかった。練習するのを、奴は少しおかしそうに見ていた。

赦し、という感情も知った人生最大の私の節目だった。

20年間恨み続け、家を出で約1年少し、神様のいたずらのように「今夜が余命かもしれません」と病院から連絡があった。

そして私は「助ける」ことを選択した。

二十代という中でさまざまに広がっていた全てから背を向けて、ただ、迷わずに走り続けることにした。

再会して、初めて親子として会話した気さえした。

その運命もまた必要なことだったのだろう。乗り越える、というのは言葉にすれば簡単そうに見えるが、言葉にすれば長過ぎるとても多くのことを私は経た。

そして、親父と向き合うことは、心からの一歩には命をかけるような「削り」と痛み、葛藤、そしてーー

けれど、結局その先には、愛があった。

赦し、和解し、我々の終わりには、親と子の愛と、互いに闘病生活を過ごせた年月への深い愛情と。

決して順風ではなく嵐や雷鳴のごとくにさまざまとあったのに、その中で喜びや思い出を見出そうと歩んだことへの結果のように、ただただ愛が広がっていた。そして私は、心から泣いた。27歳だった。

親父が亡くなって一年と少し、デビュー作になった本をお供えしたのだった。

と、思い出し話しが長くなってしまった。

スマホで書くと、ついつい。タバコも気付けば2本目だ。

さて、本日も頑張ろうか。曇り空もいい感じに明るくなってきた。

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