【第4話】ホラー幻想小説~四番目の蜘蛛異色物語~

「きっと、そちらにいらっしゃるのでしょうね」
「いいえ」
「お顔を見せてくださいまし」
「いいえ」

 障子に映る影が、小さな肩を力なく落としました。そして、とぼとぼと影が障子の向こうへと去って行きました。

 どうやら足音は、夜風と衣の擦れる音に紛れてしまったようです。

 しばらくすると、次は先程よりも頭一個分大きな子供がやってきました。風に揺れる絹のような短髪と、服越しに覗く細い身体のラインに僕と同じ性を感じたので、きっと男児でしょう。

「もし、もし」

 女児に近い男児の声が、問い掛けてきました。

「そちらにいらっしゃるのでしょうか」
「いいえ」
「用件を頼まれております。是非そちらに入れて欲しいのです」
「いいえ」
「他に誰かがいらっしゃるのでしょうか」
「いいえ」

 二番目の訪問者が立ち去ると、次は長い髪を結った少年が障子の前に立ちました。

 また似たような声色で尋ねてきます。僕は相変わらず「いいえ」と答えました。本を傍らに置き、寝室の隅で膝を抱えながら、真っ直ぐ障子に映る影を眺めていました。

 すると今度もまた来ました。四番目の訪問者は、アルトの美しい声を持った少年でした。それが立ち去ると、次は五番目の訪問者がやって来て、青年期に差しかかるしっかりとした声で尋ねてきます。声質も気配も、話し方もみんなそっくりなので、全員血の繋がった兄弟のように思いました。

 六番目の訪問者からは、僕と同じ年頃が続き、質問の趣向がやや変わってきました。「月がきれいですよ」「夜露が葉先に」と親近感のもてる言葉を呟きます。各々が三つの質問をしたのち、すぐには帰らないで、勝手に数分ほど話して去って行きました。

 どれにも、僕は「いいえ」と答え続けました。

 不思議と疲れはありませんでしたが、耳に心地よい話し彼らの声をもっと聞きたくなり、十一番目、十二番目が帰ってしまうと、次は十三番目、十四番目の訪問者を求めて僕は待ちました。

 だんだんと、相手は僕の存在を認識し始めたようでした。

 祖父とは声も全く違いますから、それは当然のことでしょう。順番が進むごとに障子の前に佇む時間が増え、祖父にではなく、僕に話しかけるような状況になってきました。

 男児から少年、少年から青年へと年齢が増えていった訪問者は、二十代中盤ほどで止まり、立ち去るごとに、まるで同じ人間が戻ってくるような錯覚を覚えました。彼らは、影の形も何もかもが瓜二つなのです。そして、決して驕らない謙虚な物言いが、僕にはとても好感が持てました。

「是非あなたのお顔を見せてください」
「いいえ」
「障子越しでは、あまりにも悲しいのです」
「いいえ」

 穏やかなテノールの声でした。二十番目からの訪問者は緊張もなく縁側に腰かけ、僕に向かって話しかけるのです。

 廊下の前は、ガラス戸で仕切られているはずですが、それは存在していないかのように彼らの吐息をそばに感じました。夜風が、障子越しに直に吹き込んで来るのです。

 訪問者同士が同じ情報を共有しているというよりは、同じ人物が休憩を挟み、訪問を繰り返しているようにも思えてきました。

 彼らは好きに話して去っていくのですが、一つ分かったのは、祖父に会いたがっている人がいるということです。

 結婚を承諾して欲しいとのことで、指輪などの贈り物も持って来てあるらしいのですが、受け取ってもらわないことには成立しないようでした。

 溜息をつく訪問者もいました。祖父に会いたがっているという人が、祖父に固執するあまり自分達が自由に動き回れないので窮屈だ、と言うのです。彼は恋焦がれる乙女のような熱い吐息をつき、やはり僕の顔と名前をとても知りたがりました。

 三十一番目からしばらくは、意気揚々とした訪問者が続き、農村の夜景やそれぞれが気に入った話を勝手にして帰って行きました。

 三十三番目、三十四番目、三十五番目は、祖父に結婚を承諾して欲しいということを喋り続け、僕をうんざりとさせました。祖父には、もうそんな時間も体力も残されていないのです。祖父と結婚を望んでいるという人は、現在の彼の様子を知らないのでしょうか。

 番号が増える分だけ話す時間も長くなるものですから、つまらないと感じる話を三人続けて聞かされた時は、さすがに聞き疲れしてしまいました。

 だから、気さくなに話す三十六番目の訪問者が現れた時、挨拶のような三つの問いかけが終わると、僕の方から思わず口をきいてしまいました。

「皆さんご兄弟なのですか。強く祖父のことを頼まれましても、こちらはうんざりしてしまうだけですよ」

 途端、ぴたり、と向こうからの言葉が途切れました。

 数十秒も沈黙はなかったと思います。すぐに彼は「ははははは」と爽やかに笑ったのです。

「そうですよ、私たちは皆血の繋がった兄弟です。しかし、中にはちょっとクセのある者もいましてね。あの子達は、古い考えが捨てきれないのです。あなたを退屈にさせてしまったようで、申し訳ございません」

 詫びているわりには、男は興奮隠せない様子で言葉を弾ませていました。縁側に座ったまま、ひどく嬉しそうな身振りで続けます。

「ようやく私の番であなたの声が聞けました。どうか、もっとお聞かせください」
「いいえ」
「是非とも、顔を見せていただけませんか」
「いいえ」

 僕は膝を抱えて考えました。訪問者全員が血の繋がった兄弟だと考えると、奇妙な感じもしました。しかし、ふと、そう思ってしまう僕の感覚こそが変なのだと気付かされました。

 数百を越える兄弟。そんな家族に囲まれれば、なんと満たされた気持ちになることでしょうか。

 僕は、懐かしむように、そしてひどく羨ましい気持ちを覚えました。

 その訪問者が話し出すのを待ちました。いいえ、と断ってしまってから少し間が空いたのですが、相手が話もせずに帰ってしまう、ということはちっとも考えられませんでした。

 案の定、男は話し始めました。

 僕は蝋燭を新しく追加すると、美しいテノールの響きに耳を傾けました。

「私たちの〝母〟は、それはそれは、とても素晴らしいお方です。彼の子供を欲しがっているのなら、私達はとても協力するでしょう。それでも、私達は物足りなくなっているのです。もっと大きく包み込んでくれる気配に酔いしれたい。そんな新しい考え方も本能の一つなのです。狂うほどに恋焦がれる衝動も、兄である私達が、とても強い」

 障子の影が、くい、と夜空を見上げました。彼は、ほぅ、とうっとりとした吐息をもらして話を続けます。

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