自責と他責をなんかこう、上手いこと

「他責ではなく自責をしなさい」

社会人になって、最初の研修で言われた。

他人のせいにする人間はいつまでも成長できない。自分の行動を見直して、それをしっかり次に繋げないといけない。

最近の新卒は素直なんだという。私たちも例に漏れず、何かと「それ他責だぞ、自責しろよ」と、半分ふざけて、半分本気で互いに言い合うくらいには素直に、その教えを守って2ヶ月過ごした。

他人のせいにしたら、成長できない。

全くその通りだ。

他人のせいにして、自分悪くないし!ってやってる人間が成長できるわけがない。


社会人始まって以来の最悪な1週間が過ぎ、土日を過ごして感じたことがある。

自責だけじゃ、潰れる。


配属から1ヶ月、まだ何もわからない。それなのに降ってくるのは、たぶん他の部署より圧倒的に多い新卒業務。つまり雑用。

まだ何もできない私たちには雑用しかできないのだから、それは全然苦ではない。

とはいえどんどんやってくるまだ覚えきれていない業務に、雑用系の業務、捌ききれずにパンクして、いろんな人に迷惑をかけ、いろんな人に怒られた。

新卒でうんうん唸りながら、「ここが悪かったね、ここができてなかったね」と、自責に自責を重ねて、土日に入った。

私は木曜から熱っぽかったこともあって、土曜日は地獄だった。

午前中は昨日怒られた先輩たちの声が脳内にわんわん響いて、何をやっても泣きそうで、月曜が来るのが恐ろしくてたまらなかった。

どんなに逃げたくても、「でも私のせいだし」と絡みついてくるのは自責の念で、息ができなくなった。

たくさん寝て、少しずつ怒る声が聞こえなくなってきて、日曜になって。

ようやく冷静になったころ、親に愚痴を言った。

全部吐き出し終わったあとに、自分でもびっくりするくらい、身体が軽くなったのがわかった。

「あぁ、愚痴を言ってもいいんだ」


自分のせいだ、私がもっと上手くやれば、迷惑はかけなかったし、怒られなかった。

この考え方はきっと間違いじゃないし、成長に繋がるのかもしれない。

でも、他責をしないようにしないようにと研いだ「私のせいだ」は、言うなれば諸刃の剣なのだと思う。

私に深く突き刺さって、痛くてしんどくて、でも他責をしてはいけないから、逃げられずにひりひり痛む傷を、背中を丸めて耐えていた。

きっとそれだと、どこかで折れる。

現に私は、たったこれだけで折れかけた。もちろん、めちゃくちゃにメンタル弱い私が悪いんだとは思うけど。

今もまだ怖いし、ひりひりする。でも、ピンと背中を伸ばせる。

愚痴を言っていいんだ。

あれがムカついたんだとか、あれっておかしいよなって、言える人に言っていい。

そうやって伸びをしても大丈夫になれたら、カサブタのところに行って、あれが悪かったかなって考えればいい。

まだ血が出てるのにわざわざ痛いところを突っついて痛い痛いって泣きながら考える必要はないんだと思う。

カサブタになるまでは、自分に優しくしてもいい。

これからはそういうルールを作ろうかなと思う。

自責は大事。成長のために、しなければいけないことだ。

だけど、わざわざ自分を痛みつけなくたっていいんだ。どうせ満身創痍なんだから。

失敗をして、次に繋げるために、まず、ほんの少しだけ自分に甘く。

そうやって、自責と他責をなんかこう、上手いこと使い分けて、成長していけたらいいなと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?