一流に交われば一流になれるのか問題

「一流」を選ばされた子ども時代



今日は、通っているバレエ教室の発表会を見に行きました。

私は3歳からバレエを習っていましたが、その最初のバレエ教室の選定理由は「将来バレリーナになりたくなっても後悔しないように、一流のお教室」でした。つまり母親は、一流のお教室に通えば一流になれる可能性が生まれ、一流でない教室に通うと伸びたくても伸びない、あとでは追いつけないと思ったわけです。
この考え方というか人間的な直観はけっこう世の中多くまかり通っていて、つきあう相手を一流の人にしろとかレベルの高いチームに入れば伸びるとか、そう言われれば真実のように思えてしまうものです。

まあそんなわけで、小さい頃に通っていたお教室は高校生以下だけでフルプログラムのバレエ曲を使い切れるだけの人数がおり、そこらのバレエ団の公演より人が多いくらいでしたが、小さい子でもちゃんとバレエらしい踊りをするのが当たり前、小学生になればコンクールに出る子も多いお教室で、写真では私一人だけが変な格好になっている劣等生でした。
引っ越し後はもっとゆるいお教室になったのですが、母親は私が上手い側に入ってしまうお教室が気に入らず、しじゅう文句を言っていました。

一般的な「バレエの発表会」とイメージの落差

今、大人になった私が通っているお教室はご近所の小さなお教室で、なので発表会と言っても人数が足りなくて他のお教室と合同だし、全体のレベルもそんなに高くはありません。お勉強頑張ってるんだろうな~という肩の丸まった子もいますし、脚も90度上げるのが精いっぱいの子が多いです。

これは子どもを教室に入れようとするときの落とし穴で、仲良い子が習ってるとかでないと、バレエ教室の発表会を見る機会はないと思います。そうすると親の中のバレエ教室のイメージって、プロの小さい版とかコンクールのイメージなんですよね。だからコンクールにバンバン出してるようなレベルの高いお教室でやっとイメージどおりなんです。
私も他人の発表会を見ることがあまりなく、大人になるまであまりイメージがなかったのですが、一度見てみると本当にあれ??バレエ??ってなります。

もちろん粒揃いに他より少し上手い教室というのはありますけれども、プロになるとかそういうレベルから見れば大抵はどんぐりの背比べ。舞台で映える、バレエ経験のない人に「すごい」と思わせるって本当に大変なことです。小さい子なら大きめの子に手を引かれて端から端まで走れたらオッケー。身内だから可愛い、いつもお喋りしたり遊んだりしてる子の別の面を見られるから楽しいのであって、バレエとしてそれほど美しいわけではありません。

こういうのを見ると、自分が子どもの頃周りにも親にもダメ出し食らってたので、なんだ私ふつうのレベルだったじゃん…と安心します。一流のお教室で劣等生をやった経験をそれほど気に病んでいるわけではなく、まだ小さかったからすべてが「かわいい」で許されていて嫌な思い出にはなっていないのですが、それでも技術そのものに対する自信のなさは一生ものになっています。

それでも光る子は光る

でもさ。いるんですよ。そんな中にもなんかすげえ上手い子というのが。教室あたり1〜2人くらい

私はうっかりして前回の発表会を見損ねたのですが、そのときお教室の大人クラスで「なんかすごい子がいましたよね」と話題になった子がいました。でも先生は「他の子と同じようにしか教えてないのにね、あの子だけはねえ」という感じ。
この教室のレベルで同じように教えてるなら限界あるよなあと思うじゃないですか。
今回発表会のプログラムをもらって、どの子かなあ写真でわかるかなあと開くなり

あ、この子だわ(一瞬)

怖い話ですけどバレエ上手い子ってすぐ分かるんですよね…バストアップどころか首から上しかない写真なんですけど…

で、踊らせてみたらほんとにお化けか?年齢間違ってるだろってくらい上手かったです。段違いに大きい子と一緒のグループにされていて、その中ですら抜きん出ている。お教室としてもやはりコンクールとか出させているみたい。
そしてこれもまた因果なことに、その子、ごきょうだいが同じステージに出ていてやはり上手い方ではあるのですが、それほど抜きん出てはいませんでした。教室より才能。そして才能は家系や育て方より個性です。

「一流に交われば」…?

さてこうなると、「一流のお教室にいれれば一流になれる」は本当か?という話になります。

結論から言うと、一流のお教室に入っても、一流になれない子は落伍するんです。私はたまたま引っ越しによって落伍まで在籍しなかっただけで、あのままお教室にいても自信を失うばかりで伸びなかったと思います。
「他の子と同じ」でも伸びる子は伸びる、ということは、上手い子はそれだけ「バレエに関することばやお手本を効率的に理解し、自分の身体と結びつけられる」ということです。そういう子ばかりが集まったお教室では、理解の早い子向けの説明が為されます。一流の教室に入った才能のない子は、そもそもレッスンを理解できる機会がないのです。現に私は大人向けの教室に入って初めて理解できた動きがあります。
そうやって淘汰された結果が一流だという話であって、一流の中にいたから伸びたわけではない。なんで運痴の自分の子が一流側だと思ったの?と私の母親に聞いたら辛辣すぎるでしょうか。

そして郊外の住宅街の小さなお教室でも、ちゃんとプロを経験したそれなりの先生に習っていれば、伸びる子は伸びます。むしろ個別に見てもらう時間が長いだけ得かも。
考えてみれば現に活躍しているバレリーナだって、経歴を見ればスタートはご近所の楽しいがメインのお教室だったりするわけです。遠くの先生についたりするのはかなり大きくなってからですよね。
なのでもし「将来バレリーナになりたいと思ったとき…」と考えるなら、「〇〇になりたいと…」の〇〇が何であっても応援できるだけの蓄財に励むのが最良かと存じます。これはマジです。声楽でも本当に力入れて音大に行く人は地方から定期的に東京の先生に…とかありました。どの道に進むとしてもプロアマのある世界だと中学~高校以降の交通費とか月謝とかがヤバいです。目先よりそっちに取り除けておきましょう。

ただ、先生カラーはやはりあります。お教室あたり1〜2人のその上手い子たちには明白にお教室カラーがあり、先生が踊るのとどこか似たテイストになっています。
また、どこに力を入れるかもお教室カラーがあるので、「楽しさ・活気」なのか「姿勢」なのか「指先」なのか…レベルを底上げする中でどこをいちばん大事にしているのかは所属によって変わってきます。
だからもしお教室に選ぶ余地があるなら、ハマれるほど好きな踊りを踊る先生のお教室か、複雑な踊りよりも姿勢や所作など教養になる部分を大切にするお教室かのどちらかを選ぶのが良いと思います。

そしてそれはさておき、抜きん出るほど上手いわけではないけれど、普段のお教室での挙動からは想像もつかないほどステージで輝く人もいて、これはまた別の才能です。まあプロになるなら両方必要なんでしょうが、小さい子で「上手い!」と思わせる子は技術面で優れていて「丁寧」な印象の子が多く、ステージ強さや華みたいなのは中学校ぐらいから前面に出てくる気がします。
むかし声楽で賞を取ったとき「ステージに出てくる出方だけで入賞するのが分かった」と言われたことがありましたが、本番に強いというのか、ステージに立った途端にテンション上がっちゃう人っていて、そういう人は楽しくやっているものだから、多少の瑕疵があっても雰囲気で勝てたりするんですよね。
これもある程度は才能だと思いますが、やはり自信が持てればステージに強くもなれます。ここを伸ばしたいなら結果について萎縮させないお教室が良いんじゃないでしょうか、知らんけど。

そしてそして、才能があっても結果としてみんながプロになるとは限らず、今回の発表会で先生以外でいちばん上手かったのは、ブランクありで復帰した、大人クラスの社会人の方でした。それこそレッスンより楽しそうでした。あんなカッコいい踊り…ファンになっちゃぅう…(←踊りに関してはこの上なく惚れっぽいです)
プロじゃなくても楽しく披露していく道はあるよなあというお話です。

社会人チームは二人出ていてどっちもかわいらしい人でめっちゃ上手くて、この二人が笑顔で猫耳つけてじゃれ合うパートを披露したので萌え死ぬかと思いました…大人だからこそ漂う微妙な恥じらい…でも全力でかわいらしく踊る…尊い…尊すぎるぜ…(鼻血)
そしてこの二人に挟まれてレッスン受けてても私がそんなに上手になることはなさそうなので、やっぱり「一流に交われば…」はかなり限界があると思います。

結論

「一流の人に囲まれていれば自分も一流になれる!」は、かなりの程度間違いと言わざるを得ません。
子どもの場合でも、一流のお教室に入れればプロに近づけるとかそういうことは一切ないです。むしろそれで才能がなかったら自信喪失するだけ。ご近所の安いお教室でも才能のある子は抜きんでて伸びます。むしろ、その先生の指導姿勢や踊りはどうか?ちゃんと一人一人を見てくれるか?萎縮させないか?とかのほうが大事そうです。
それに、きょうだい間でも才能の所在は全然違ったりするので、ひとつに思いつめて一流にこだわるよりも、色々試したほうがいいんじゃないかな。

それはさておき上手い人の猫耳バレエはご褒美です。

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