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透明日記「こぼれた茶の幻覚」 2024/08/01

昼、茶を注ぐ。ペットボトルから注がれる茶は、ぼくの左手をすり抜け、コップに注がれていくように見えた。

渋い黄緑の茶が、口元で少しこぼれる。手で口を拭うと、手の平から渋い黄緑の目の玉が湧き出し、床に落ちいく。目の玉は床で、アイスクリームのように溶けはじめた。

溶けた目の玉は舐め取らないといけない。舐め取らないと大変なことになる。どろどろの目の玉を舐めていると、天井から大きな舌先がぶらぶらと揺れる。天井から伸びるらしい。構わずに、床の目の玉を舐める作業に戻った。微妙にあんこの味がする。

目の玉を一つ舐め終えると、部屋のどこかでセミが鳴く。アンコアンコと鳴いている。部屋の真ん中、天井から大きなベロが垂れ下がり、ベロの表に大きなセミが留まっていた。セミの声で床の目の玉がぷるぷる震える。目の玉を一つ舐め取るたびに、天井からベロが一枚生えるらしい。そのベロにいつのまにか、大きなセミが留まる。アンコアンコ、アンアンアンコ。うるさくて、目の玉を舐めるのをやめた。やめると目の玉は床に消えた。天井のベロとセミは消えてくれない。

ふと、口の中が痛くなり、唾液が床に垂れ、床に広がっていく。痛みが止まって唾液が止まると、唾液の表面を、人の手足が生えた干し葡萄のようなものが、泳いでいるのが見えた。ごく小さな干し葡萄が五匹。顕微鏡で拡大されるように、泳ぎを競っているのがよく見える。いつからかぼくは、頭の尖ったナカザワという干し葡萄を応援していた。

ナカザワは祖母からの贈り物出身で、床に落とされた過去を持つ。干し葡萄は平泳ぎしかできない。ぼくはナカザワが近くの干し葡萄を蹴るのを見た。蹴られた干し葡萄は唾液に沈み、いなくなる。ナカザワは蹴るのが上手い。結局、ナカザワはひとりで泳いでいた。唾液の縁にナカザワの手が付くと、手と足が置換され、進行方向が変わる。ナカザワは泳ぎ続けた。ぼくはそろそろ行かなければならない。

冷蔵庫に手をついて起き上がる。立ち上がると、ぼくの身体には冷蔵庫のような扉がたくさんついていた。胸の扉を開くと、大都市の喧騒と色とりどりのネオンが飛び出す。部屋が七色に染まった。ベロのぬめりが怪しい光を返す。ただれた虹の中にいるような気分になる。

胸の中で虹だ虹だと声がして驚くと、雀のような干し葡萄の群れが飛び立って行った。虹だ虹だと鳴いている。ぼくは扉を閉めたが、部屋は虹色のままだった。間もなく、一羽がセミだセミだと鳴き始め、一斉にセミだセミだと鳴き出した。干し葡萄の雀は、部屋中のセミをつつく。部屋にセミの肉片が散らばる。ぼくはどこかへ帰りたいような気分になった。

はあ、と深いため息をつくと、部屋が小さくすぼみ、ぼくは渋い黄緑のお湯に浮かんでいた。どこかの風呂場のようだ。リラックスして目を閉じると、シャワーが降るような、じゃばじゃばという音に身体が揺れる。シャワーが身体を突き抜けていく。内臓が揉まれるようで、こしょばいけれども心地いい。

目を開けると、シャワーヘッドから銀色の細い棒が伸びていた。ぼくの身体を貫くらしい。銀色の棒は風呂場の光に輝いていて美しい。身も心もほぐれていく。「棒は伸縮している」と思うと、その通りに伸縮を始め、シャワーヘッドから出たり戻ったりして、ぼくの身体を貫いている。細い棒が戻るとき、その先端には干し葡萄が刺さっていた。体内の干し葡萄を取り除いているらしい。あまりにも気持ちがいいので、いつの間にか、眠っていた。

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