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透明日記 2023/08/24

家で一人、勉強していると、歌い出すことがある。歌詞を知ってる歌であったり、歌詞の分からない曲に即席の歌詞を当てはめたり、知らない曲に知らない歌詞を当てはめたりして歌う。曲から曲へ、言葉から言葉へ、頭で理解する前に切り替わっていく。

それは自動的に出力される壊れた歌だ。流れるように、言葉と言葉が妙なリズムで繋げられ、突発的に奇妙な映像の断片が生まれては消える。夢のように脈絡がない。断片的すぎて記憶にあまり残らない。

今日の歌は国会議事堂のてっぺんに、巨大な桜の木が生えているのが印象的だった。昼か夜かは分からない。時間の流れの中に存在していない、虚構の国会議事堂と桜の木。意味もなく現れて消えた。

そんな中でも勉強は進んでいく。BGMを聴きながら勉強するように、意味のない歌を歌いながら勉強する。夢でも見ているように勉強する。勉強も夢の中に包まれているかのように感じながら、勉強する。目の前の参考書に距離を感じ、誰が勉強しているのか分からない気分になりながら、勉強する。

しまいには本当に勉強しているのか、よく分からなくなる。ハッとして、歌は止み、勉強をする。

勉強は不思議だ。勉強の孤独が歌を生むのか、ただただ勉強に飽きてきているだけなのか。はたまた、私が壊れているのか。私にはよく分からない。

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