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透明日記「音楽を聴きに行く」 2024/08/03

昨日の日記。気付いたら八月が四日まで進んでいる。昨日は寝不足だったけど、目が冴えていた。

首、背中、足。全身が痛いなあと思って目が覚めた。注意力は散漫になっていたので、何かをしようということもない。八月に会った人の顔や声が流れたり、見たもの聞いたものが思い出されたりする。

前日の夜から朝にかけ、音楽を聴きに行っていた。序盤はふわふわ揺れてみたりしたものの、あまり乗り切れない。揺れているのにも飽き、壁際の尻乗せ棒に尻を乗せて酒を呑み、ぼうっとフロアを眺めていた。スモークが音もなく広がり、人を呑み、人々は顔を失い、影となっていく。よろよろと揺れる人影は、昔に踊った人々の亡霊のような気がした。

尻乗せ棒が尻に食い込み、痛くなる。少し腰を上げて尻が戻るのを待つ。首でずんずんとビートを少し受けながらも、尻を上げたり、尻を下げたり。尻が三度痛くなる頃、タバコを吸いに出た。

喫煙所には白人がいた。白人は薄手の柔道着のようなものを着ている。スイスから、大学卒業後の一ヶ月、日本をエンジョイしに来たという。柔道着のようなものはのちに、作務衣(さむえ)であることを知った。その夜に甚平という言葉を教えられたばかりだったので、甚平に似たようなものを着ている人がいたことに驚いた。

モンベルの白い作務衣。モンベルで働くと言う、モンベルのTシャツを着た人がいて、それと気が付つかれた。ぼくのカバンもモンベルだと言うと、近くのドレッドの喫煙者もカバンからモンベルのTシャツを出して見せた。たまたま出会った喫煙所の四人が、各々のモンベル製品のロゴを指し示す。モンベル社員は、なんか恥ずいと照れていた。

室内に戻り、モンベル社員といくつか言葉を交わしていると、目の前のテーブルにテキーラのようなものを並べる者がある。カウンターから次々と運ぶ。十杯のテキーラが並ぶと、カップを一つ渡され、三人で乾杯して呑み下す。テキーラなのか分からない。喉が焼ける感触もない。テキーラ男は人を呼び、次々と乾杯をやり、十杯のテキーラは、ほどなく消え、テキーラ男もどこかに消えた。妖精だったのかもしれない。

後ろの方で過ごすうちに、音楽の調子が複雑で楽しげな感じになってきたので、フロアの人影に紛れ込んだ。いい、いい、という感覚が身体に流れる。身体が揺れ、手がペロペロと舞う。それは三人目の演者で、すごく好きな感じの音楽だった。喉に響く面白い音を出していた。演者が、目当ての演者に入れ替わる。

音に打たれるがままに身体が揺れる。ビートが劣化したプラスチックのように欠けていく。複雑に壊れていく。壊れたビートが細かくブレる。いい、いい、いい、という楽しさが身体に流れる。自然と身体の揺れも増幅し、頭が上下に振動する。頭は、上下するミシンの針に刺さってでもいるかのようだった。美味いものを口に入れたときのように、気持ちよくてアゴが上がり、うっとりすることもあった。音が複雑になっていくと、音を受け取る関節が足りない。そんなような微妙な違和感が持続すると、予想を裏切るような音が展開される。「いい!」が脳裏に直撃し、身体が、足りない関節を埋めるように、知らない動きに開かれる。音になって踊った。

演者が入れ替わり、タバコを吸いに出る。室内に戻って少し音楽を聴いたが、ピークは去ったと思うと、途端に疲れが出てきたので、外に出ることにした。

始発がまだない。茶を飲みながらぶらぶらと、死にたてのような街を歩いた。二十代ぐらいの倒れる者がちらほらといる。ハタチ前後の若い男の子らが、路上で輪になって話しているのを三組ほど見た。歩くうちに空が白け、車の往来も繁くなり、始発の時間が近づいて、駅に向かった。

家に着いても目が冴える。いくつか記録のようなものを付けているうちに眠くなり、横になって目を閉じると、音楽が流れる。耳元で、体験した音が聞こえる。目を開けると音は消え、目を閉じると音が鳴る。そうこうするうちに、眠りについた。

三時間ほど眠り、目が冴えつつも、ぼやぼやと過ごした。夕方の川辺を散歩すると、酒や疲れが残っているのか、いつも以上に汗をかいた。腕がぬめぬめと光る。家に帰るとびしょくしょの汗ずくで、シャツの下に来たTシャツのグレーが、一様に濃くなっていた。

残り物のカレーを食べて寝た。

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