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透明日記「満月を見て五感が広がる」 2024/07/20

満月がきれい。救われるような気持ちがする。

普段、未来について考えることも少なく、計画というのもほとんど持たず、その時々に思いついたことをして、なんとなく過ごしていることが多い。

そうやって過ごすのはかなり楽で好きだけど、振り返ってみると、なぜそうやって過ごしていたのか、特に理由がない。急な思いつきで何かを止め、何かを始める。自分でも急なので、順序立てて説明する言葉がない。断片的な言葉を頼りに、ぼんやりとしたイメージで動いたり、「お〜」という感動のようなもので動いたりする。あらためて理由を問われると、後付けのような言葉になって、少し後ろめたい。

思い返せば、機械設計の仕事をしているときも、こうやったら上手くいくというイメージを元に設計していることが多かった。あとあと、これは何かと問われると、少し考えないと分からない。少し考えて、やっとそれっぽい説明ができる。直感的なイメージで動くので、作業は早いが説明はできない。問い合わせの返信などが、理屈を順序立てる労力が大きく、一番大変な仕事だった。

私生活になると、制限がゆるいので、仕事の場合よりも飛躍が大きい。そんな一日を振り返ると、夢の断片を見るような気分になる。言葉でなんとか仮初の繋がりを持たせるが、言葉で説明できないことも多い。こういう経緯でこれをした、というときの、経緯がすっぽり抜けている。これをした、という唐突な結果しかない。

経緯がすっぽり抜けていると、自分をまとめる筋が見出しにくく、なんだか自分の存在がとても薄く感じられる。一体、ぼくは何をしていたのかと、自分の人間的意義が宙吊りになる。そんなとき、頭の中が白くて重くて、ぼくはもうダメだ、たましいが枯れて、何をしても無駄だ、もう何もしたいことがないと、気が沈む。

今日の昼ごろからか、薄っすら、そんな気分になった。急に自分の存在が薄く感じられ、何をしたいのか分からない。

だから、食べて寝たが、夕方に目が覚めてもパッとしない。朝に書いた文字をしょうもなそうに読み返したりする。

しかし、夜になり、満月を見ると、沈む気持ちが消し飛んだ。

タバコを買いに行った帰りの空に満月があった。月を見つけ、はっとした。ただそこにある満月の、静かな鋭い輝きが、胸にすうっと染み込んだ。はっとして、目が潤い、ぱっと五感が広がって、満月の匂いを嗅ぐように、遠くの空気が感じられ始めた。

満月を見て、五感が戻ったように感じる。そう思うと、なんだか満月に救われたような気持ちがした。

明日からも、なんとなく過ごそうと思う。

書いていていて思ったが、自分はダメだ、枯れた、とか思ったときは、ですます調で唱えるのがいいように思う。自分はもうダメです、たましいは枯れました、もうしたいことはありません、私は死にました、と。誰かのセリフのようになって、自分から少し距離を置けるので、余裕が生まれるような気がする。

今日も落書きを貼る。

新紙幣
甲殻類
みんな歩いている
歯をみがこう、昼は長い

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