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透明日記「ここ数日の断片」 2024/10/04〜10/7

日記というのは溜まると、負債のように数えられて嫌な気持ちがする。少し振り返る。

10/4 金
晩御飯に青椒肉絲のようなものに、ごま油をかけて食べると元気が出た。先週のいつか、いいごま油を買っていた。いいごま油はいい。食事が上品になる。うなずきながら食べていた。

食べる前は、胃が冷たく、心臓が豆粒で息が細く、表情も失ったようで、枯葉の粉になったような気分だった。

食べると、落ちたての葉っぱぐらいの形になれた。水気も少しある葉っぱ。

10/5 土
たぶん、朝から本を読んでいた。夕方ごろから、ミラーの「南回帰線」を読みはじめ、散歩に出た。散歩はこの日ではなかったような気もするが、黒猫に餌をやるおじさんに出会った。五年間、晴れの日はあげているという。夕方に一回。やっぱり、散歩はこの日ではなかったような気がする。

10/6 日
朝、たらこスパゲッティを食べた。昨日の余り。

麺を持ち上げると、絡まった麺が崩れ、たらこの粒が飛ぶ。Tシャツや太ももに、点々と飛ぶ。からだに飛んだ粒を左手でつまんで口に入れた。口から指を離したとき、口に入れたはずのたらこの粒は、親指の爪の端に挟まっていた。

爪の隙間に押し込まれ、二、三の粒が固まったようになっている。舌先で取れそうにない。食事を中断し、ティッシュを使って右手の爪で取り除いた。

ついでに、机に散らばっているたらこの粒をティッシュで拭う。

たらこスパゲッティは、たらこの粒が飛ぶ。しかし、昔は飛ばなかったように思う。たらこの粒が飛びはじめたのは、大学に入って数年経ったころだ。あるときから、飛ぶなあと思っていた。粒が飛ぶなあと思うと、毎回飛ぶようになった。

たらこの粒が最もよく飛んでいたのはいつだったか、記憶にない。激しく、あちこちに飛んだ記憶がある。二十代後半ぐらいだ。まだ大学にいた頃かもしれない。たらこの粒は、回転する機械に弾かれた水の飛沫のようによく飛んだ。たらこスパゲッティが少し嫌いになった。

この日はあまり飛ばない。飛んでいたのかもしれないが、しっかり確認できたのは十粒を超えなかった。たらこの粒に対する動体視力は、二十代後半がピークだったらしい。

食後、本を読む。「南回帰線」を読むと、元気になる。

10/7 月
百貨店に足を運ぶと、自分が百貨店に用のない人間であることをヒシヒシと感じる。百貨店に並ぶ数々のショップは輝いていた。あまりにも眩しいので、心がこしょばくなって、へんに笑いが込み上げる。

口を押さえて天井を見て歩いていた。天井は、無数の小さな照明が取り付けられ、ニキビ面になっている。店員はみんな暇そうに、しなくてもいいことばかりして、職務を取り繕っていた。暇な仕事は辛い。形骸化した仕事を見ると、悔しい気持ちがした。

アウトドアショップに入る。すぐ出た。百貨店には用がなかった。用がないことが、少し寂しかった。

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