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透明日記「メガネを外して、ぼんぼりの光を眺める」 2024/07/30

図書館に行った日の続き。夕方、雨後。

涼しそうなので、川へ散歩に出かける。タバコ、ライター、スマホ、エアポッズ、灰皿がわりの小瓶をポケットに入れると、ポケットが重く、カバンに詰め直して外に出る。

散歩用のごく小さい、肩掛けポーチを探そうかなと思う。散歩用のポーチ、さんぽーちを。

川辺。ぬるい風が吹く。雨の匂いが残っている。南の方に黒い雨雲が見える。夕日は明るめの低い雲に覆われて見えない。西の彼方の雲と地上の隙間は、淡いオレンジに染められていた。低い雲の上には、ボロ切れのような雲が浮く。ボロ切れは、どぎついオレンジで発光していた。

ぬるい風、生き物はない。対岸か中洲に生える小さな木から、蝉の声がする。近くの藪では時折り虫が、ギーと鳴く。蝉の声は三種類ほど聞こえた。ミミミミミ、ミーンミーン、ギーギー。という感じ。違う蝉なのだろうか。ミミミはずっと鳴っていた。

土手の階段を降りて砂利の道を行く。誰もいない。踏む道は影もなく明るい。遠くの橋に電車が流れる。川辺にゴゴゴという音がこだまし、過ぎ去っていく。

ぬるい風、影のない明るい砂利道、蝉の声。時折り、虫がギーと鳴り、電車が流れてゴゴゴと響く。そんな夕暮れの土手をしばらく歩く。電車を起点に同じ感覚が繰り返されるようで、時間が進んでいるのか分からなくなる。影がないのも、少し気になる。見上げると、ボロ切れの雲は淡いピンクに染まっていた。

草は人の背丈ほど伸び、細い道を遮る所もあった。両腕で前にエックスの草避けを作り、草を分けて進む。葉先が身に擦れる。細い道を抜けると、スネやヒザ、手の甲やヒジが雨粒に濡れていた。葉の擦れた感触も少し痒いような感じで残る。

踏切に近い、土手の階段で休む。空にはコウモリが、蛾のように羽ばたく。五匹ぐらいかなと思うと、低いところにも高いところにも、あちこちに飛ぶ。何十羽か、いた。燃えた紙切れのように不規則に舞う。直線を飛んだと思うと、右に折れ、左に折れ、ジグザグしたり、小さくその場で回ったり、大きな円を描いて回ったりする。落ちてこない燃えカスを眺め続けた。夜を呼ぶような怪しい動きだった。

気がつくと、足元が暗くなっていた。折り返して帰る。草の細道を嫌って土手の上を行く。いつしか蝉も鳴かなくなった。

コウモリを見ながら歩き、コウモリに飽き、対岸の光を見る。光源から、鋭い尾が上下に伸びる。じっと見ながら歩く。顔を傾けると、伸びた光の尾も傾く。顔についてくるのが楽しい。

光に興味が出てきて、ふと、メガネを外す。あらゆる物が輪郭を失う。電灯という電灯が、丸く、花火のように灯る。高速道路の電灯も、対岸の街灯も、向かいから来るチャリのライトも、振り向いたときの踏切のランプも、その他いろいろの電灯がそれぞれの色で、丸く、ぼんぼりと灯る。

ぼんぼりの光に囲まれて歩く。宵の口のさびしい土手が賑やかに灯り、柔らかい温もりに心が包まれるような気がする。主催者も、客もいない、雰囲気だけの夏祭り。

わあっという気分でいると、人が横を通り過ぎ、わっとなった。横に来るまで人が見えない。そういえば危ないなと思い、土手の階段でぼんぼりを眺めるようにした。

ぼんぼりは光が強いと、輪郭がはっきりする。弱いのは頼りない感じで灯っていた。見つめると、ぼんぼりは鼓動を打って大きさを大小する。よく見ると、枯れたハスの頭のように、筋がぼんぼりの中をうねっている。顕微鏡で見る細胞のようにも、入り組んだ町の地図のようにも見える。そんな模様をしている。

大小様々に並ぶぼんぼりは、全部同じ模様で、見つめるうちは変わらない。が、ふと目を離した隙に、模様が微妙に変わっている。筋というか脈というか、そのうねりが少し違う。

裸眼で光をまじまじと見ることがなかったので、模様が見えると面白い。模様のほかに、目の近くを小さい二重丸の影がうようよと動くのも見つけた。目の表面を泳ぐように見える。顕微鏡で見る微生物みたいに揺れ動く。なんなのかは分からない。

メガネを掛けると、こっちの現実に戻ったような気がした。ぼんぼりを見つめていた時間が、別の現実のように感じる。

帰りに赤信号を上目遣いで見つめると、真っ赤な夕日のようで恐ろしかった。同じように、坂の上から坂の下を見ると、ぼんぼりの光の網が重なり合い、町の路上は見えなくなる。

遠くに行ったなあと、ぬるい風を浴びながら坂を下る。ガソリンスタンドの屋根の下、明かりで夜を切り取ったような空間に、気の抜けた古い邦楽が響くのを聞いた。

家に帰り、映画の続きを観る。映画に関連しそうな本や漫画を取り出したり、日記を書いたりした。晩はミネストローネとサラダとフランスパンを食べて、寝た。

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