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透明日記「血と肉が疼いて、家事」 2024/06/14

体調がいい感じになっていくにつれ、文字に焦点が合うようになっていくというか、封じられた認知能力が解放されたの感があって、読む本の文章が目で見て分かるし、目で分かる以上に顔面に文章が染み込んでくるような感じで、すんなり文章が頭に入る。

まだ若干の咳が出るから、二万歩歩くとか仕事探すとか、そういう無茶はできへんけど、血と肉はうずうず疼いて仕方がないから、家事。

風邪のあいだに布団は寝汗でくたくたのしなしなで、へんな臭いもするような気がせんこともないから、炎天に干す。

布団を干すだけでは内なる衝動がおさまるわけがないから、リビングの椅子に掛けてあるバスタオルとか集めて洗濯機に入れる、洗剤を撒く、蓋を閉め、回しとけと念ずる。

洗濯機がうんうん回るあいだ、台所で皿を洗う。

スポンジで洗剤揉んで食器とか洗うんは手を使うだけで、あんまり頭使わへんから、洗濯機とはなんぞや、と思う。

子供の頃はカタカナやと思ってたし、いまでもケンタッキーみたいにセンタッキーって発音するし、センタクキとか言うたら喉にカ行が詰まって、なんか物理的に硬いし重いし、後味悪いし、洗濯機とはなんぞや?って。

センタクキとセンタッキーをボソボソ発して、その口当たりとか喉越しみたいなもんを確かめながら、やっぱりセンタッキーやなって思てるうちに、皿洗いはどんどん進んで、台所はステンレスのボディが面積になってって、シルバー、わあ、ピカピカ。

センタッキー見に行ったらまだ十三分も掛かるらしく、一服って感じでもないし、暇やから何しよって思たら、金具が震えるような異音。

試しにセンタッキー手で押さえたら異音は鳴り止む。手、離したら異音。せやからまた手で押さえるわけやけど、振動が健康器具やんってなるから、両手置いて、ぶるぶる。身体が震えて一興、わたしは最早、機械人間。

でも十三分も揺れてばかりはいられへんし、いま現在無職でもあるわけやし、日中、十三分もセンタッキーに両手ついて揺れてる無職は流石になんかやばい感じがするから、リビングの片付けして暇つぶすようにした。

それでも三分ばかし余ったもんやから、森口博子の「水の星へ愛をこめて」を口ずさんで過ごす。

ほんで、ピーヒャラ。メロディー鳴らしてセンタッキーが呼びよるから、ブツ取りに行ってベランダに干したら、もう家事はよす。

ちょっと家の中歩きたくなって、布団のない部屋、ピカピカの台所、片付いたリビングなどのビフォーアフターのアフターを鑑賞。部屋に澄んだ空気が通り抜ける感じがして、心さわやか、満足して一服。

タバコ吸いながら内田百閒とか読んでると、頭がゆるうなってきて、じわじわ笑い誘ってくる感じはたまにウザいけど、笑えるとこは多くって、楽しくって、体調が良くなった。気がする。

でもやっぱり文字としては、センタッキーはすげー気持ち悪いから、洗濯機でいいような気がする。絶対。

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