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透明日記「今-音楽-過去」 2023/09/14

プログラミングの勉強はできる日とできない日がある。昨日はできない日だった。キーボードに茨を感じ、触る気が失せた。朝、一時間も触ると空腹を感じる。飯を食ってから勉強をすることにする。アニメを観ながら飯を食う。タバコを吸う。漫画を読む。参考書を手に取り、外に出てタバコを吸う。アニメを観る。漫画を読む。食器を洗って、風呂に入る。そして、ラーメンを食いに出かけた。

ラーメン屋では宇多田ヒカルの「Flavor Of Life」が流れていた。近所の歯医者でもよく流れていることを思い出す。ものすごいフレーバーだ。フレーバーが行く先々のライフに先回りしている。それに、何十年も人の心を過去に導き続けている。

音楽は個々人の記憶と共に時を流れる。あの頃こんな曲が流行ったとか、あの場所に住んでいた時はこの曲を聴いていたとか、巨大な構造物を設計していた頃は夜の川辺で陽水を聴きながらリンゴ売りの真似をしていたとか、会社帰りの暮れなずむ極彩色の空の下で額の前の一点に心が落ちていくような電子音楽を聴いたとか、大学時代、昼と埃とトラックばかりの高架下をレゲエの速度で漕いだ自転車の私だとか、駐車場でバナナを食いながらアナトリアンロックの魅力の一端をギタリストに伝導していた私だとか。

音楽は外部記憶装置のように人の記憶を再生させる。一切の過去が安息となり、過去のゆりかごに身体がまどろむ。音楽によって脳と過去とが接続され、過ぎ去った時の何気ないひとときは、想い出されると不思議にも、豊かに広がる情感を持って立ち現れる。

過去とは一体なんなのだろうか。想い出されるどんな過去の一点も、それなりの広がりを持っている。不思議。

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