透明日記「川辺で老衰」 2024/11/20
楽しくて、満たされて、ふたりで一つのなにかになって、時間を止めて遊んでいた。
目が覚めて、胸が縮む。寝ているあいだに、過ぎ去った気持ちを漏らしていた。漏らしているけど、さわれない。さわれない気持ちをさわったように見せてくれる相手はもういない。過去の人、過去の日差し、過去の時、ぼくの知らないぼくの顔。
漏れ出ていた過去はねっとりとして、身体が布団に貼り付けられる。うす暗い朝の部屋のまだ活動していない空気は、水の底の静けさ。部屋のなか、目に見えない小さな埃がゆっくりと降りてくるような気配。
布団の脇に脱ぎ捨てた靴下が目に入る。見つめていると、心がいまの日常を思い出す。布団をのけると、なんてことはない。身体が起きて一日がはじまる。
寒さに少しふくらんだ二羽のスズメが、ベランダの冷たそうな手すりの上に留まっていた。もふとして、体温を抱いている。エサを撒くと、小さく軽快に跳ねながらベランダをつつく。人の目を気にして、植木鉢の淵に留まってこっちを見たり、植木鉢の裏に隠れたりする。忙しく動いて、合間合間にメシを食う。行儀がわるい。
少しのあいだ、ドラムスティックを振る。黒い本を叩いているので、スティックの先端のチョボが、うっすらと黒い。こけしの髪の毛みたいになっていた。
文章を書いたりして、朝を過ごす。
昼からドラムの練習。スタジオの入口にリラックマのグッズがちょこちょこある。むかし、リラックマがあまりにもかわいかったので、妹のリラックマを誘拐していた。あのときの情熱はどこに行ったのか、スタジオでリラックマを見ても、リラックマや、としか思わない。
ナンバーガールの「鉄風 鋭くなって」を練習する。ドラムを前にして曲の練習をするのは初めて。耳で聴いていても、なにを叩いてるのか、よく分からない。いま、多分ここら辺叩いてるとか、身体は多分あっちに向くとか、漠然とした位置だけ把握する。速度を遅くして聴いたり、叩いてる人の動画を見たり。練習したら、ほんとにできるようになるのだろうかと、うたがう。部分、部分、できそうなところだけ、練習した。サビだけ少し歌える人みたいなドラム。細かいところは、また家で調べることにする。
お腹が空いたので、コンビニでおにぎりを買って、川辺に遠足する。チャリと荷物を一旦家に置く。
太陽、黄色くなって夕方。土手の階段でおにぎりを食う。遠足を促す天気。近くの川辺で静かな食事。景色が黄色っぽく染まってくると、時間の狭間にいるようで、永遠みたい。マジで老後。川やら空やら、自然がゆっくりと回っているのを眺めていると、老衰の予感がする。身体が徐々に活動をやめ、電池が抜けたように、瞳がぷつっと白くなる。そんな気がする。いまは老後なのかもしれない。
そうも思う。けど、老後も徐々に終わるのかもしれないなあという予感もある。今年はいろんな人に会って、いろんな表現を見たり聞いたりしていた。自分の作るものは全部ゴミだと思っていたけど、いいやんと言ってくれる人もいた。それで、何かを作る気になって、なんやかんや作ったりした。で、ちょっとずつ意識が変わっている。
なにかを作ることに、自信がついた。と言えば、ついたような気もするけれど、それよりもずっと、自分という主体性は薄い。自分の作ったものの見方が変わったと言うのが合っている。
ただただ、訳も分からずこの世に生まれてきてしまった作品の、生まれて、そこにあることを、認める感覚。作ったものは、外で見るスズメに近いところがある。また気が向いたら、なにか作ろう。
川辺でぼんやり、そんなことを考えていた。
風に短い草が揺れる。垂らした葉先で風を揉むように見える。よいしょよいしょと声がする。強い風が吹くと、すごい速さで風を揉む。手が回らないといった感じで、てんやわんや。怒っているようにも見える。風が弱くなると、草は、おしゃべりしながら風を揉む。あっちで何か揺れてるねとか、何かがどこかで鳴いてるねとか。
草は世界が広いとか知らないし、「世界」とか思わないと思うけど、ぼくよりもずっと過ごし方を知っているような気がした。勝手にそんなことを思う。
上裸のおじさんがやってきた。土手の砂利道を歩いている。寒い日も上は脱ぐ。小脇にセーターを抱え、柄の短い折りたたみ傘をさしていた。寒くなっても、上裸日傘は変わらないのかと驚いた。たまに川辺で上裸の人がいるが、なぜ川辺で脱ぎたがるのだろうか。ぼくには、知らないことがたくさんある。
遠足から帰ると、曲をスローにしてドラムを聴いたりして過ごす。本を読む。最果タヒのエッセイを読んでいると、涙が出た。人といても、話せることがないと言う。ミミズがいた、大きかった。みたいな、<「話す必要のないこと」で頭がいっぱいな自分が、空っぽな気がして怖かった。>と。
なんか、分かる。友達といて、この地面、実は斜めや、とか、この木の肌、変な色や、とか、だから?みたいなことをぼくはよく言うけれど、どうでもいいやん、へんなとこで立ち止まるなよ、と返されることが多い。そういうことを言う機会があまりないから、草が揺れてるとか、書いているんだろうと思う。
夜、下側がふくらんだ月が光っていた。天から光る指が突っ込まれているようだった。