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透明日記「春に」 2024/03/30

起床。甘い眠気は蜜のよう。

蜜はねばねばと意識をおおう。朝早く旅に出た母のいない家の静けさの中、蜜を透かしてゴミ捨ての仕事を思う。ぼやぼやと曖昧な「しなあかん」という声が、蜜の厚みに阻まれて、限りなく小さくなっては、消え入る頃に大きさを増す。憎らしい。蜜蝋にまどろんでいたい気持ちを渋々、ゴミの存在を意識する方向でまとめる。ゴミ捨てに対するいけずな気持ちもあって、まだいけると十分ほどは布団でまどろんだ。

家のあちこちに潜むゴミの拠点を巡り、ゴミを集め、階下に捨てに行く。階段でおじさんとすれ違う。土曜の朝だというのに寝癖ひとつない。昼のように整った髪型である。怪しい。真っ当そうな人物であるが、完璧主義的ないやらしさを感じる。

ゴミを捨て、からだが目覚める。百段ほどの階段を降りて登る活動で妙に心が弾む。

口をゆすいで茶を飲む。寝ている間に口内には魔界の瘴気がこもるらしい。魔界の住人は妙な所に出口を作ろうとする。魔界の計画のアホくささを思い、俺ならもっと違う場所に作るだろうと思う。瘴気を下水に流し、茶でもって人間の世界を口に教える。

春の日差しが空に散る。淡くかすむ空気に雀の声がよく響く。うるさいほどによく響く。目を向けると、俺の方を向いて鳴いていた。

いつもエサをやる雀である。いつからか、俺の善意にあぐらをかいて、エサのないことを問い詰めるようになった。

善意は雀を傲慢にする。しかし愛らしいからエサをやる。近くで見てると寄ってこない。野生の警戒が正常に働いている。食事中でも警戒を忘れない。時々刻々に変化する周囲の状況をよく感じ取っている。

動物の感性はしたたかだ。観念に囚われた人間の底暗さと対照的に、明るい。明るい感性に力を感じる。動物的に生きて、在る、ということに深い生の思索を感じる。

今日はアプリを作っていた。こうすればああなる。なるほど、ああすればこうなるのかとコードを書いては試し、制作工程の意識を観察しながら進める。

昼にカップ麺を食いながら機動戦士Zガンダム第8話を観る。エマとカミーユに信頼関係が築かれた。エマは折り目正しく理に明るい。素直で凛々しい、いい女だ。ホワイトベースにはいなかった人材である。地球ではレコアがカイと出会っていた。

8話分観て、いい作品だと思う。ロボットが活躍するだけでなく、カミーユを中心に人間の心が細かく描かれている。また、政治経済、戦争の背景など、見どころが多い。色んな視点で見れる、いい作品だ。

夕方。最近は批評に興味がある。それで『現代文解釈の基礎』を読んでいる。古い本の復刻版らしい。

例題に志賀直哉が出てきた。文章は上手いが思索は徹底していない。その不徹底な態度が、安吾に文章家だと揶揄される原因でもあろう。洞察を深めることなく、淡い情感に思索が流れている。好ましくない。しかしそれゆえに、志賀直哉をもっと読みたくなった。

夜はアプリの機能を作って、飯を食うのを忘れた。主要機能は盛り込めたので、明日から見た目を整える。

今日はやたらと長い。今朝が遠い昔のようだ。この春は夢かうつつか。うつらうつらの夢うつつ。春はまぼろし、まぼろしに肌が荒れる。

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