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透明日記「車突っ込み、夏来たる」 2024/07/07

朝起きて漫画を読む。漫画のような気分になる。

ぼくは人間から逃げる野ウサギのように、クーラーの効いた家から飛び出した。

マンションの廊下を駆け抜け、階段を転げ落ち、車道に出る頃には肉製のスーパーボールとなって、アスファルトを跳ねた。身にまとう冷気はすでに消えていた。

ただただ、路上に跳ね、汗にまみれた。汗のしたたる肉の玉となったぼくは、跳ねた拍子に空中で我が身が分解される運命を望んでいた。

しばらく跳ねたが、肉は崩れない。どこ行く当てもなかったので、ところどころ白い塗装の禿げたガードレールの上で休んだ。ガードレールの上には、心ある人間によって紺色の体操ズボンが飾られ、心ない人間によって飲みかけのコーヒー牛乳のペットボトルが飾られていた。

体操ズボンは迷子の子供のように持ち主を呼び、今にも泣き出しそうだった。ペットボトルは怒っているようで、プスプスと人間の社会を呪っていた。陰謀論者のようだった。ぼくはめんどくさい存在に囲まれながらも、立ち去る気も起きず、ガードレールの上で転がり、汗を拭っていた。

きょうの車道はおかしいようだ。どろどろの肉がママチャリを運転していた。タイヤに肉が絡まり、速度が緩んで、ぐしゃりと倒れた。目の前で倒れた。

ほどなくして、黒の軽自動車が倒れた自転車を気にすることなく、突っ込んで、すごい速さで肉の絡んだ自転車を運んで行った。サングラスの運転手は、薄っすらと笑っていた。

車の行方を見守ると、車体がぐらりと右に揺れ、気が変わったように左に折れて農協に突っ込んでいった。煙が上がって車体が光り、夏が弾けた。

農協に
車突っ込み
夏来たる

一句詠んでいると、ペットボトルがぶつぶつ何か喚いていたので、自転車の倒れたところに目をやった。路上には肉の染みが伸びていた。ペットボトルは言う。

「これが真実だ。ここから未来が見える。この肉で描かれた抽象的な模様は、星の運動を表しているわけだ。あの右の方の縞模様は凶兆。近々、悪いことが起こる。君はまだ自由に動けるらしいが、ここにいた方がいい。」

ぼくはペットボトルを殴って、車道に跳ねた。体操ズボンが着てくれと叫ぶのが後ろから聞こえていた。

跳ねているのは爽快だった。軽さに酔い痴れ、我を忘れた。

ふがっ。

ぼくは信号の柱にぶつかって、倒れたらしい。気がつくと、からだはバニラアイスのように地面に溶けていた。交差点の人間もみな、好みの色でどろどろと溶けているのが分かる。ハエが飛んでいた。おれはフィリピノ語で挨拶をした。「お会いできて光栄です。」ハエはブーンと返事をして、喜んでいた。

他の溶けた人々もハエに挨拶をしていた。それぞれの挨拶をハエに投げ、ハエが喜ぶのを楽しんでいた。

思えば、娯楽という娯楽は廃れた。詩も小説も、演劇も映画もドラマも漫画も、絵画や音楽、ありとあらゆる人間の楽しみは、人の心を動かさなくなった。もっと気楽で、不思議で、心を動かすものがいい。それがこの街では、ハエだった。ハエが唯一の娯楽だった。アイスクリームのように溶け、ハエに挨拶をする。まあまあ楽しい。

備考:きょう、外は暑かった。少し歩いて、帰っただけだ。ぼくは野ウサギにも肉製のスーパーボールにもバニラアイスにもなれなかった。農協に車は突っ込まなかったし、ハエは娯楽にならないし、路上に捨てられた物品は語らず、陰謀論者のペットボトルにも出会わなかった。家で漫画を読むうちに、一日がなんとなく過ぎた。

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