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シュークリームの食べ方が分からない

 シュークリームは好きやけど、食べるのが難しい。難しいと言っても、手を付けられない程ではない。手に取って食べる物やから。
 なんでも、シュークリームには爆弾処理みたいな心得が必要で、食べるときはいつも、味に関係のない計算をさせられる。

 クリームは内側に圧を掛けすぎると飛び出すし、中盤には脇からクリームが落ちようとするし、クリームが手に付くとなんか焦るし。シュークリームは人を慎重にさせたり、焦らせたりする。
 食べている間はずっと、噛みつく角度や力加減、クリームの吸引などに注意を払わないとダメで、攻略の手順をそれなりに計算しなければならない。

 この計算が、味を損ねる。

 注意の照準がシュークリームの味よりも、クリームの漏れという危機的状況を避けることに注がれるからだ。手順を間違えると、ただただシュークリームから逃れたい一心で、シュー生地やクリームを口に押し込む羽目になる。なんともアホくさい。
 本当にシュークリームを楽しめるのは、計算の要らない最後のひと口だけだと思う。食べ方がヘタなんだろうか。それならどうも、情けない。

 算数の問題はたくさん解いているうちに早く解けるようになるが、これと同じ訓練がシュークリームを食べるのに必要なのではないか。きっと訓練を重ねれば、一定の法則で計算について考えなくて済み、最初から最後まで美味しくシュークリームを食べられるはずだ。
 しかし、訓練には数多のシュークリームが必要で、しかもそれを食べないといけない。算数の問題みたいに観念的でないから、お腹がいっぱいになるし、金も余計に掛かるし、数多のシュークリームなど、食欲がそそらない。まれに食うから、ああ美味いと思える。それを訓練と考えるともうダメだ。考えるだけで吐き気がしてきた。
 訓練は諦めよう。シュークリームを食べる訓練なんて、しょうもないし、腹の足しにしかならないし、食べるのが嫌になってしまう。

 何も考えず、シュークリームを好きでいたい。雲みたいにふわふわしたフォルムがかわいいし、手におさまる感じも投げたくなるほど愛おしいし、思ったよりも大きいという意外性もいい。
 どうも、シュークリームを食べることよりも、形状や持ったときの感触が好きなようだ。手に持ったときは食べるときだから、仕方なく食べているのかもしれない。何も考えず、自動的に、そこにあるからという理由で。まあ、そんなことはないけど。

 次回は、「算数」でやります。

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