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透明日記「腹の不調と軽い酩酊」 2024/07/26

便意で目覚める。起きてトイレで排泄姿勢。すみやかな行動を取る。便意はあるが、便が出ない。諦めて寝る。目が覚め、便は出ず、寝る。それから、普通に起きた。

便秘らしい。痔に気を遣って強く力めない。合併症という言葉がよぎる。縁のないように思っていた言葉。急に近づいてきて、人を暗い気持ちにさせる。期限の近い、他人の仕事が回ってきたような気持ち。

朝、牛乳、水、さつまいもの小さな蒸しパン、朝、フルーツグラノーラ、牛乳、朝、納豆、米、海苔、牛乳、水。牛乳がなくなる。朝の時間もなくなる。いっぱい飲んだり、食べたりしたら出るかなと考えた。独自の思いつきで身体を治そうとする。そういう悪い癖がある。

なんの音沙汰もなく、時間が過ぎる。空は青い。入道雲は白い。青が映える。ふぁーっと、意識が飛んでいく。夏が眩しい。眩しさで時間が止まるような気がする。空を見ていても、海岸の岩のようなゴツゴツとした雲は動かない。全体も細部も静止している。夏の太陽に時間が止まったのかもしれないし、空気が熱に膨らむように、一瞬という時間が大きく膨らんだのかもしれない。一瞬はすごく長いときがある。

そうこうするうちに、わずかになった朝の時間を、たまに録画する散歩番組「世界ふれあい街歩き」を観て過ごす。フランス北部のルーアン。ジャンヌダルクが火炙りにされたり、モネが絵を描きに行ったりした、ノルマンディーの古都だという。

旧市街の家屋は木の柱や筋交が、外壁に模様となって剥き出していた。タトゥー屋の男はバイクに腰掛け、近代建築よりも人間的でいいと言う。確かに、いいなと思う。そう思う一方で、ルーアンは京都のように、伝統に胡座をかいている所があるように感じられ、あんまり好きな街ではないなと思った。伝統伝統として、少し窮屈に感じる。

モネは大聖堂を何枚も、狂ったように描いたという。婦人服の試着室で、衝立に囲まれて。

昼ごろ、小指の爪ほどの便が出る。トイレに行く甲斐がない。便が出なくて昔困ったことがあったので、便が出ないのは怖い。便秘で死ぬこともあると聞く。薬局にカンチョウを買いに行く。カンチョウの箱は、ボルトやナットでも入っているような重さ。カンチョウという軽い響きに似合わないので、意外な感じがする。そんなような重さ。

最近受診した痔の検査で、肛門への抵抗が少なくなったのか、カンチョウヘの抵抗も少なくなったらしい。初めてのことで、トイレで孤独な作業をするのは、少し心細い感じがする。シモ周りの不調は、みんなこんな感じなのだろうか。

少しして、排泄に成功する。朝からの不調は改善されたが、腹を下す。カンチョウが効きすぎたのか、牛乳を飲みすぎたのか、冷たい水やアイスも口にしたし、よく食べた。腹を下す準備をしていたようなものだ。独自の思いつきで治そうとするのはあまりよくない。よくないけど、たまに上手くいく。

腹の具合が悪いなあと思いながら、川上弘美の短編集『溺レる』を読む。溺レると、変換候補に上がる。ある程度、作家と作品は登録されているのかもしれない。

ゆるい音楽を聴きながら読む。微妙にゆるく揺れながら読んでいた。小説も音楽も、曖昧な世界で、夢のような感じ。よく合っていたように思う。

物事に対する距離感があって、好きな文章。どの短編も、どこか他人事のように話が進む。独特な空気感に、百閒の匂いを感じる。生き物もいっぱい出てきて楽しい。細かい描写が笑える。

全体的に、男に執着してしまう、生活的に無能っぽい女がよく出てきた。なぜか男についていったり、男のされるがままになってしまったりして、漂流するように物語が展開していく。夢を見たような気分。軽い酩酊感で事が運ぶ。心地よかった。

夜、腹の具合が良くなったので、飲みに行く。酒を飲むと暑くなる。クーラーは涼しい。酒気を掛け布団にしてクーラーに涼む。冷たい夜気に当たるようで、空気が肌に気持ちいい。あまり飲む気がしなくなった。酔いは覚めていき、家に帰る。

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