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透明日記「就職活動をポケットに入れて」 2024/04/19

ここ数ヶ月のあいだ、わたしは自分が就職することを待っている。ただひたすらに待っている。その証拠に、右ポケットにはいつも就職活動を入れて持ち歩いている。

就職活動をポケットの中で弄び、手垢に汚れたところで取り出して、洗剤で洗うこともある。きれいな表面を見つめると、自分が就職したような気分にもなる。嬉しくなって壁に投げつけると、就職活動は跳ね返ってわたしの顔面を殴りつける。

鼻柱が痛くて涙が出ても、騒いではならない。就職活動の思う壺だ。その代わり、上唇をむき出してなにもない空間を威嚇する。なにもない?それは違う。現代社会を威嚇しているのだ。毎日八時間働いて未来に魂を捧げる人類の儀式を。農耕を始めた文明の呪いを。穴のある貨幣を思い付いた欲望の歴史を。

まあ、それも嘘だ。就職活動の表面を眺めたり、就職活動を壁に投げつけたりすることしか、就職活動について何も知らないからそう言っているだけだ。

それでもいつもポケットに入れている。春になって少しふっくらしている。だから待っているのだ。いつか就職活動が動き出し、わたしを家から連れ出すことを。

こうして持ち歩くのは楽しい。スーツの人間が目に止まると道を変え、早足で逃げてやるのだ。逃げながら何度も振り返り、追ってこないことを確認する。その仕草はさぞ怪しいことだろう。わたしは就職活動を使って不審者ごっこをしている。

誰かわたしを止めてみてほしい。叩いてみてほしい。からだ中を叩いても、わたしのポケットから就職活動がこぼれ落ちるだけだ。わたしの所持品がまったくの無害であることをご覧いただけると思う。

たぶん、こんなことをだらだらと書いているから就職活動は活動を始めないのだ。意志のナイフで切り込む必要がある。ただ、意志のナイフは幻のように遠い存在で、限られた英雄にしか配られていない。つまりはフィクションの産物だ。現実のわたしの手元には腐った爪楊枝が二、三本あるだけだ。代用には心許ない。

こうして、わたしは就職活動の表面を眺め、動かないその動きをただただ見つめ、何かが起こるのを待つことしか、することがない。

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