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透明日記「日常のスケッチ」 2023/09/12

クーラーで凍えた体が午前の日差しに解けるのを待つ時間。体に熱が宿るまでの間、意識の網目を抜けていく鼻水と戦う。注意してもなお、鼻水は地面を探して外に出る。

クーラーの風には表情がない。扇風機の風には表情がある。回転軸のわずかなブレ、外からの風による羽の回転のわずかな阻害。それら微妙の雑感が、風に表情を生んでいる。

正午のチャイムが、晩夏の雲の大きな懐に抱かれている。

窓を開けていると、カーテンが揺れる。ぼーっと外を見る。カーテンは揺れている。揺れているから時間が流れる。時間がカーテンの揺れに合わせて進み始める。ゆったりしている。やさしく人を包むようなリズム。

勉強を切りのいいところで終わらそうとする欲張りな心は、たばこの煙と共に流れていった。

小学生の「いただきます」が部屋まで入ってくる。本当は食事など、目の前にないのではないか。ただただ、訓練みたいな「いただきます」。

10年ほど前、タイで飯を食っていると、現地の少女がレイを携えて売りに来た。首にかけ、代金を求める。そのやり方が気に食わず、少女にレイを返した。なぜかずっと気になっていたこの経験が、『はみだしの人類学』を読んでいるときに思い出された。ずっと、かすかに後悔していたのだ。日本で身に付けた物の見方で彼女を見ていたことを。現地のやり方を拒む、偏狭な自分の心を。偏狭な心は他人と交わる様々な場面で生まれる。無理に維持される「わたし」とは、積み重なる過去の重みに圧縮された観念である。観念ばかりを参照して生きるところには現実がない。肉体が忘れられている。観念で生きるのは、過去の自分のブロンズ像になることである。

育児の重さに潰された心が街を彷徨う。脱力した腕がだらだらと垂れ、束ねた髪の色艶は失われ、漂うように女は歩く。「明るい社会」から排除され、虚ろに心が閉じているように見えた。

近視の中学生がふたり、馴れ合っている。青臭い空気がぱふぱふ、目に見えるようだ。

カフェの隅でパズルゲームをする暗い女がキラキラした音に晒されて、一人の世界を満喫している。夢心地の指がポツポツとスマホを叩く。精神安定剤の一種なのであろう。

おじさんの手元が揺れて落とされたコップが砕ける音。ガラス片をカチカチと片付ける音。それぞれの時間を過ごす周囲の人々は音のした方を一瞥し、それぞれの時間に帰っていった。

駅の出口を出るや否や、タバコに火を点ける人の多いことに驚く。おじさんの七割が吸っていた。公共のコードがいつからか停止したような空間。

小さい歩幅のおじさんが早足で帰宅を急ぐ。仕事終わりを喜ぶように、口笛を吹く。草木を見つけると、手の平を草木の頭に滑らせる。涼しい風を見つけると、手を挙げて風を触っちゃう。ハンチングを脱いだり着たり、風に白髪が震える。おじさんの心は四方に伸びて仕方ない。可愛らしい人だ。

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